2016年4月 8日 (金)

ハル、新入学おめでとう!

                  

2年前に娘が小学校に入学したとき、このブログに
「母には晩年、私の独り身の原因が「自分にあるのでは…。」と思わせたようで、母が他界する2年前に妻との縁に恵まれ、1年前に娘が生まれた時には心からホッとしたものだ。どうしても「内孫」ってやつを母に抱かせてあげたかったからだ。
だから娘は生まれてきただけで、私に本当に大きな親孝行をプレゼントしてくれた。だから私は実は娘には頭が上がらない。」と書いた。

だが一方息子を見る度に僕には後悔が募る。
「こいつを見せてやれなかったのか・・・。」と思ってしまうのだ。

見たらきっと毎日笑い転げているだろう。僕ら家族がこの5年間彼を見てそうしていたように。

僕は彼にあまり多くを望まないけれど、もしひとつだけ言わせてもらえるなら、どこにいても、どこか見知らぬ場所にパラダイスを探し求めるのではなく、今いる場所をパラダイスに変えられるような男になってもらいたいと思う。

薄気味悪い男にだけはなるな。

男子、その名のごとく好漢たれ。

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Forever Young(いつまでも若く)by ボブ・ディラン
May God bless and keep you always
May your wishes all come true
May you always do for others
And let others do for you
神様が君を祝福し
いつも見守ってくれますように
君の願いがすべてかないますように
君がいつも誰かのために尽くし
誰かが君の力になりますように
May you build a ladder to the stars
And climb on every rung
May you stay forever young
君が星へと続くハシゴをつくり
その一段一段を登っていけますように
君がいつまでも若々しくありますように
Forever young, forever young
May you stay forever young.
いつまでも若く いつまでも元気で
君はいつまでもそのままで
May you grow up to be righteous
May you grow up to be true
May you always know the truth
And see the lights surrounding you
君が正義感を持って育ちますように
君が誠実な人間に育ちますように
君がいつも真理を知ることができ
君を包んでくれる光に気付けますように
May you always be courageous
Stand up right and be strong
May you stay forever young
君がいつも勇気を持ち
背筋を伸ばし力強くありますように
君がいつまでも若々しくありますように
Forever young, forever young
May you stay forever young.
いつまでも若く いつまでも元気で
君はいつまでもそのままで
May your hands always be busy
May your feet always be swift
May you have a strong foundation
When the winds of changes shift
君の手がいつも忙しく動いてますように
君の足がいつも迅速に動いてますように
強くゆるがない信念を持ちますように
変化の風向きが変わろうとも
May your heart always be joyful
And may your song always be sung
May you stay forever young
君の心がいつも喜びに満ち溢れ
君の歌がいつも歌われ
君がいつまでも若々しくありますように
Forever young, forever young
May you stay forever young.
いつまでも若く いつまでも元気で
君はいつまでもそのままで


2016年3月11日 (金)

未来からの糾弾 5年目の3.11に寄せて

    

東日本大震災&原発事故から今日で5年。

「震災から今日までどのような思い出過ごされましたか」と問われる機会がいくつかあって、その度一生懸命答えさせていただいているのだけれど、いつも的外れな回答で終わってしまう。

だが、先日いくつかのブログを眺めていて5年間自分がずっと引きずっている感覚を見事に表現している記述を見つけた。以前にも目にしていたが今改めて読むと自分の中の心の的の真ん中を見事に射当てている。

震災&原発事故の翌年2012年3月12日のブログ「ペンギン・ビート」の記事がそれだ。

少し長いが以下全文を引用してしまおう。

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「僕らはまだ揺らめいている巨大なものの前にいる。」

昨日の3・11、PM2:46に市の放送があって黙祷した。しかし、実際は地震があったこの時間からさらに約10~15分後に起きた津波によって被害は甚大なものになった。去年のその時のことを思い出すと、僕は都心のプレハブ建ての3階にいて何かのアトラクションのような目に合った後、外に出て現実とは思えないほど揺らめいている高層ビルを呆然と見つめていた。周囲も皆、騒然としていたが、実はその時にこそ津波というもっと具体的な悲劇が始まっていたのだが誰も知らなかった、その時には。
文字通り悲劇が渦巻いているのに何も知らずにいたあの10~15分間が、その後の1年をずっと覆っていたような気がする。いくらいろんな事実が明るみになっても、まだ自分は何かを知らないでいる・・という感覚があの時から始まったのだ。

3・11は終戦記念日や防災の日のような記念日や祝日にはならないだろう。僕らはまだ揺らめいている巨大なものの前にいる。

それは高層ビルではない。

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僕の中にずっと燻っているものはこれで、それは今この瞬間の自分も「悲劇が渦巻いているのに何も知らずにいたあの10~15分間の自分」ではないのか?という疑いにも似たものだ。

(そしてそこに僕らを押しとどめようとする力の存在も感じる。)

もちろん人一倍鈍感で、物忘れが激しく、何かに集中すると何も耳に入らなくなる自分が今この瞬間にも確実に起きているであろう世界中の悲劇を全て意識して生活するなんて出来ようもない。

でもそんな自分のアンテナでも何かの違和感を察知し、それが誰かの悲劇や巨大な悪につながると感じたのなら声をあげてしっかりと拒みたいと思うのだ。

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今年から始まったNHKスペシャル「新映像の世紀」の第3集「世界は独裁を選んだ」の恐るべきラスト。

それは第二次世界大戦終結後、実態が明らかになった強制収容所の死体の山を見せつけられ「知らなかったんだ。」と叫ぶドイツ人に対して収容者たちが「いや、お前たちは知っていた」と告げる場面だった。

「原子力非常事態宣言」が解除されず、高濃度の汚染水を垂れ流し続けていながら経済成長ばかりを唱え、原発を再稼働し、オリンピック騒ぎに躍起になりそのあげくのはてに未来の子供たちを再び悲劇に陥れる事態を招いたとき、僕らもまた先のドイツ人と同じように「知らなかったんだ」とでも言って言い逃れるつもりなのか。

このままでは、僕たちもまた未来の子供たちに糾弾されるだろう。そしてあの日亡くなられた多くの魂たちからも。

「いや、お前たちは知っていたのだ」と。

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動画はベタだが34年前に発表された浜田省吾のナンバー。今こそリアルに響くこの名曲が曲中に現れる恋人たちの身に起こることまで言い当てないで欲しいと切に願っている。 5年目の3.11に 合掌

2016年2月28日 (日)

FBより転載 魚肉ソーセージ

       


ここ最近毎週日曜の夜に見ていたNHKBSプレミアムの「鴨川食堂」今夜はその最終回。

「思い出の食」の種明かしは魚肉ソーセージでした。( ピンクのチャーハンでピンときました。)

練り物、特に魚肉ソーセージなんか添加物が多いからと僕の身体を気遣う妻は食べさせてくれないけど、子供の頃は随分こいつにはお世話になりました。

ドラマとは使い方は違かったけれど、チャーシューの代わりに我が家でもチャーハンに使われていたし、月末になるとスライスしたものをフライパンで醤油を回しただけで炒めて、熱で膨れ、焦げ目のついたやつで何杯も米を食べました。

僕ら3人の息子たちの腹を満たすために親には安価でありがたい食材だったのでしょう。
そんな事を思い出しながら一人ツナ缶を肴にチビチビとドラマを観ていたらついホロリとさせられてしまいました。

今も無性に食べたくなる時があります。

今日2月28日は母の命日。

もう少しマシな思い出はないのかとあの世で苦笑しているかもしれません。
怒らない、怒らない。これでも感謝しているのデス。

2016年2月 4日 (木)

灰色の男たち〜山賊と渡り鳥の歌〜

       

「ブログを読むと村田さんってとても恐い人なのかと思ったけど、会ってみると全然ちがいますね。」

何人の人にそう言われただろうか?

二人の兄のうち長男からは「お前はハッキリもの言い過ぎる」と言われ次男からは「なんかの変な宗教か派閥の思想にかぶれた変な奴だと思われるから気をつけろ」と嗜められたこともある。

だからよく福幸ファームで農作業をしていたとき低空飛行でヘリコプターなんかが頭上に飛んでくると仲間たちに

「今ヘリにゴルゴ13が乗ってて俺のこと狙ってるの見た!」とかいって納屋にみんなで避難して大笑いしていた。

「そろそろいいかな?」ってみんなで納屋から出たらヘリが旋回して再び僕らの方に向かって飛んで来たときには本当にあせって、それからまた爆笑した。

でも何かに狙われているという感覚はあながち嘘じゃなくて、僕がいつも気をつけているのはミヒャエル・エンデの童話に出てくる「時間貯蓄銀行」の灰色の男たちだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/モモ_(児童文学)

時間と心の余裕だけは奪われたくはないのだ。

暮らしの転換はまずはそこからだと思うからだ。

2016年2月 2日 (火)

スマイルふくろうプロジェクトのこと

       


トムは言った
「ママ、暗がりを探してみてくれよ。
警官が俺の仲間を殴っているところに、
腹を減らした子供が泣いているところに、
差別や憎しみが生みだす争いの陰に、
ママ、俺はそこにいるよ」

「誰かが自分の自由を守るため、
日々の糧を、救いを求めて立ち上がっているのを見たら、
彼らの瞳をのぞいてみるといい、
ママ、俺はそこにいるよ」
(ブルース・スプリングスティーン「ゴースト・オブ・トムジョード」より)

東日本大震災&原発事故から間もなく5年がたとうとしている。
君はその後の生活で何が変わった? 何を変えた? そして僕は?

今なお約10万人が避難生活を送る一方で、TVの中だけを眺めてみれば、芸能スキャンダルや汚職事件を尻目に原発は再稼働されてしまい、みなリオや東京オリンピックをダシに一儲けすることばかり考えているように見える。

お偉方にとって復興は震災&原発事故前の「復元」であり「転換」ではなかったようだ。

そんな中、友人夫妻が福島県二本松市岳温泉のふもとの仮設住宅にて避難する浪江町の方々のためにあるプロジェクトを立ち上げた。

(詳しくはこちらのブログをどうぞ)
http://palavas.dreamlog.jp

「スマイルふくろうプロジェクト」と名付けられたこのプロジェクトはこの仮設住宅に避難生活を送る方々が作った「ふくろうのお守り」を販売し、この方々の生活に役立ててもらおうというもの。

僕の周りには草の根でこのような活動に取り組む方々が大勢いてそのことに勇気をもらうことが多い。

早速僕もお預かりしている受験生たちこのお守りを送り、話しをしてあげようと思う。

「悲劇に遭遇し苦境に立たされたとき程、誰かのためにつくすべきだ。僕が3.11から学んだことの一つだ」と。

昨年悲しい出来事に見舞われた友人夫妻もこのことを知っていたようだ。

このアクションに拍手を送りたい。

間もなく5年目の3.11を迎える。


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※動画

How Can a Poor Man Stand Such Times and Live?

                              by ブルース・スプリングスティーン

医者がここへ明るい顔をしてやってくる
彼は言う「もう少ししたらよくなるよ」
彼がくれるのはインチキ薬と一服の鎮静剤と馬鹿でかい請求書
いいかい、どうして貧乏人はこんな時代に耐え、生きることができる?

彼は言う「私と友だちは学生時代、この町では本当にいい思いをした
あんたたち貧しい黒人に起こったことは、実にきのどくだ」
彼はあたりを見回し「いつでも手を貸すよ」と社交辞令を言い、出て行った
いいかい、どうして貧乏人はこんな時代に耐え、生きることができる?

運河には死体が浮かんでいる、堤防はどこも決壊した
マーサ、俺の16口径と濡れてない銃弾を取ってくれ
持てる者は町を出て、持たざる者は逃げられず溺れ死んだ
いいかい、どうして貧乏人はこんな時代に耐え、生きることができる?

家族はテキサスから遥かバルチモアまでばらばら
もうこの世に家と呼べる場所もない
最後の審判の時がくる、確かに、正義の汽車がやってくる
いいかい、どうして貧乏人はこんな時代に耐え、生きることができる?

2016年1月31日 (日)

「うぇるかむ」69号より転載

       

復興ボランティア支援センターやまがたの避難者向けフリーペーパー「うぇるかむ」69号にてスペシャルインタビューとして取材を受けました。(こちらのリンクからご覧になれます)http://kizuna.yamagata1.jp/modules/con01/index.php?content_id=8

許可をいただきましたので、当ブログに転載させていただきます。

以下がその記事です。

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うぇるかむ69号 スペシャルインタビュー 

                        長井市 総合学習指導塾 七色学舎 村田孝さん

Q震災前・震災後はどこで過ごしていましたか?

福島県いわき市出身です。塾の講師として勤務していて、研修で千葉県にいる時に震災が起こりました。福島に戻り実家に避難して断水の中過ごしていると、職場の上司から「原発で作業員をしている友人からの情報によると原発が危ないらしい」との連絡があり、3月12日の原発爆発後、3月14日に兄が住んでいる長井市に家族で避難する事にしました。

Q塾をはじめるきっかけは何ですか?

震災前に働いていた塾の社長や奥さんはとても良くしてくれた方で、塾の子ども達の事もすごく気になっていたのに、自分は塾をやめて避難してきたことに後ろめたさのようなものもあって、避難先で塾を始める気にはなれませんでした。
長井市に避難してからは、NPO法人レインボープラン市民農場の方々と出会いがあり、職員として働き始めました。畑作業は初めてでしたが、一から野菜作りと米作りを教えてもらえるとあって前向きに取り組むことができました。2012年3月には、レインボープラン市民農場の名義でお借りした休耕地・休耕田を「福幸ファーム」と名付け、同じ避難者の方々と共に作った野菜を福島や神奈川、関東へ届ける活動を始めました。また浪江町から避難してきて、長井市で酒造りを再開した鈴木酒造さんとも出会いがあり、福幸ファームで作ったお米『さわのはな』で鈴木酒造さんには『甦る』というお酒を造ってもらっています。

現在は福幸ファームの販売部門と位置づけ、「福幸ヴィレッジ」の名で安心野菜の個配業も行っていますが、これらの取り組みを経て原発事故後の生活のあり方を考えたとき、「農」を生活に取り込み自給的に暮らすことの必要性を痛感するようになりました。そしてそのことをこれからの若い人たちと共に考えたいと思い始めたとき改めて自分の中で「塾」というものとらえ直すことができたように思います。

今年に入り準備を始め、以前働いていた塾の社長も力になってくれて、11月2日に「七色学舎」を始める事になりました。以前の塾の社長とは今も連絡を取り合いアドバイスを頂くなど、本当に感謝しています。

Q塾をはじめてみて、どうですか?

今は10人ほどの生徒ですが、口コミで少しずつ生徒も増えています。講師は私を含め二人で、難しい宿題を沢山出すのではなく、学校の授業で分からないところや、生徒たちがやりたい部分を丁寧に教えるようにしています。目指すのは地域密着型の塾で、地域の方々との関わりを持ちながら土日には生徒や親御さんたちと季節に応じた交流体験もしたいと考えています。そうした活動を通していつか福島の子供たちとの交流を図れればと思っています。

避難している方へのメッセージ

震災前は忙しい毎日で、例えば友人に手紙を書く時間がなかったり、人とのご縁を大切にする余裕もないまま生活をしていました。震災後失業を経験し、それがきっかけで生活のペースにゆとりが生まれたことで、それまで切れていたご縁が戻ってきたような感覚でした。またそれに加え避難先でも地域の方々とのご縁を数多く頂き、不幸中の幸いではありますが、この点に関しては震災前より豊かに生きられるようになったと感じています。
そのことに喜びを見いだして生きていくことは先の見えない不安な避難生活の中で私たちが手にした「特権」の一つではないでしょうか?

総合学習指導塾 七色学舎
〒993-0002 山形県長井市屋城町1-40 TEL・FAX:0238-87-1270 メール:nanairogakusha@outlook.jp

2016年1月29日 (金)

この更新はMarch

       

 昨年11月から長井で学習塾を始めたことや、年末年始の挨拶など、日々色々なことに遭遇してあれこれ考えているわりには昨年の10月からこのブログを更新できていないことことが気になっていました。

ちょうど長井市社会福祉協議会から依頼されて書いた文章が上記のどちらのことにも触れているので遅ればせながらその文章をこちらにも転載させていただきます。

以下がその文章です。

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あけましておめでとうございます。
一昨年の12月より「新鮮野菜から始まるインタープリテーション」と題して「福幸ヴィレッジ」の名で長井の野菜を県外の方々へお届けする個人事業を行って参りました。インタープリテーションとは自然・文化・歴史・産業をわかりやすく人々に伝えることであり、単なる情報の提供ではなく直接体験や教材を通し、事物や事象の背後にある意味や関係を明らかにすることを目的とした教育活動です。

私たちから野菜を購入された県外の方々に長井を訪れていただき、自然体験や収穫体験、いにしえの暮らしに宿る知恵や時間を体験していただくことで心身ともに解放されることを切に願いこの事業に取り組んでおります。今後ともお力添えのほど宜しくお願い致します。

またその活動を通して野菜を購入してくれた方の中から、野菜の生産現場を一目見てみたいと長井を訪れた埼玉県出身の青年とのご縁があり、彼と共に昨年の11月から震災・原発事故前の生業であった学習塾を「七色学舎」https://www.facebook.com/nanairogakusha/の名で、屋城町の松竹会館の一角をお借りしてスタートさせました。小中学生を対象とし、教科書と教科書に準拠した教材を使った学習塾ですが、以前の塾でも実施していた春秋のバスハイクやアウトドア合宿、土日には上記した考え方を活かした取り組み等も実践し、いずれは福島の子ども達との交流にまで発展させられれば考えております。

(小学生は国算理社を対象科目に1回60分×2コマを週2回で10000円、中学生は国数英理社を対象科目に1回60分×2コマを週3回で15000円となっております。各学年通塾日が決まっておりますので詳しくは☎87-1270 村田までご連絡ください)

3.11以前に享受していた私たちの生活は、子ども達に約1000兆円の借金を押し付け。使用前と比べればはるかに毒性が高い使用済み核燃料19000トンを押し付けることで成り立っていました。そしてそれに加えて先の原発事故では世界史上類例を見ないほどの甚大な環境汚染を押し付けることとなりました。

そのような社会を構成していた大人の一人として、長井の食材や自然に触れた方々とそのことを一緒に考えたいと思いますし、七色学舎で勉強してくれる子ども達が単なる机上の学問にとどまらず、多様な価値観や自然との共生をも学びながら自立してくれることを願って精進していきたいと思います。

本年もよろしくお願い致します!!

                     福幸ヴィレッジ
                     総合学習指導塾 七色学舎 代表 村田 孝

2015年10月 8日 (木)

いつも負け〜いつも本当に欲しいものが手に入れられない

 僕の立場は原発再稼働反対で秘密保護法反対で安保法案反対でTPP反対。

でも川内原発は再稼働され、悪夢のような2法案は可決、TPPも大筋合意だそうだ。

自分はつくづくマイノリティーだなぁ、と思う。

それにしても、自分とは真逆で全て賛成って奴はどんな奴なんだろう?

本当にいるのかそんな奴。

2015年8月19日 (水)

いらぬ邪魔立てをするな


大学生活を送るために二人に一人が奨学金制度を利用し、そのうちその制度を利用する者の7割が有利子奨学金だそうだ。返済が遅れれば延滞金も発生するということで、こんなことをやっているのは先進国34カ国でアイスランドと日本ぐらいだとのこと。

 山本太郎氏によれば、他はほとんどが給付型なのに、利子や延滞金までつけて子供の将来に借金を背負わせるというサラ金みたいなことをやっているのだそうだ。この日本は。

何てことだと思う。

以前コーチング・セッションをしている時クライアントの方が自分の職場の部下を称して「欲望が小さく何をインセンティブにしたらいいのかわからない」と話し、しかしながらセッションを続けているうちに「彼らの方がまともで自分たちのほうが異常なのかもしれない」との結論に至ったことがあった。

"キャンパスに外車で乗り込む奴がいたり、同級生の女の子がみなブランドで身を固めて教室に現れたりした時代を基準に物事を考えてはいけない。”

そんな話しをしてお互い妙に納得したし、僕らの世代の肥大した欲望は原子力エネルギーに支えられていたのだからなおさらだ。

僕の眼には現代の若者たちが身の丈に合った欲望に合わせて、慎ましく暮らしているように見えるし、少なくとも自分の20代と比べて「たまには羽目を外したっていいのに…」と思うぐらい彼らはしっかりしている。

そんな彼らが若者として当たり前の、青春時代のささやかな欲望や憧れを奪われそうだからと直感して声を上げデモすることを僕は非難できない。

学生からサラ金まがいの手法で利子を巻き上げている連中ならなおさらそのはずなのだが。

この若者たちは「いつまでもこんなことをしていたくない。早く楽しかった日常に戻りたい」と話しているらしい。

自分の感受性ぐらい自分で守ろうとしているだけなのだ。

いらぬ邪魔立てをするな。


  恋の寿命

        Galileo Galilei

もしも悲しみが爪をといで 
あなたのことを引き裂こうと近づいても 
僕がそこで 終わらせる きっとその悪夢を
楽天家気取りでいたいんだ 何気ない強さがほしいんだ
君のために 僕のために 魂だって叩き売ったっていいんだ
その覚悟が僕にはね あるんだ
それでも
君との日々がこう言うんだ
「いつかね」って 「いつなの?」って
ずっとそんな調子だった 
こぼれおちた涙を拾うよ
「どうしよう」って 「なにしよう」って 
考えてたら朝になって
こんな風に 僕らはだれていたいだけ
それじゃだめ?

日が落ちるまでには決めようぜ 
ほつれはちぎって風に飛ばそう
走っていく 走っていく スピードをあげてく この恋は
あわよくば すべてうまくいって 幸せな最後を飾るんだ
泣かないでくれ 裏切らないで 
明日もその明日も 僕のそばにいてくれ 
その覚悟が僕にはね あるんだ
それでも
君との日々が叫んでいた
「愛する」って 「なんなの?」って 
ずっと僕ら問われていて
「待ってる」って君は目を閉じてた
「どうしよう」って 「なにしよう」って 
迷ってたら朝になって
こんな風が 僕は気に入っていた
それなら
決心しよう 明日へと飛び込むように
約束しよう 二人で ここからでてく
愛の証明 さがして もつれていた糸
少しずつ僕らは ほどいてしまって

「いつまで」って 「永遠に」って 
ほんとうなんだ
でも君は笑って僕をみていた
ああもういいや なんだったっけ 話してたら朝になって
そんな風に 僕らはじゃれていたいだろ それなら
いつか向かえる恋の寿命を 先へ先へ 引き延ばして
ヴァンパイアの恋人みたいにさ
君といたい 
それじゃだめ?

2015年8月18日 (火)

九州電力の破局噴火予測

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2年前の12月に秘密保護保安が成立した時、このブログに

「成立してしまったからといって冷めて傍観したり、あきらめたりする側にまわれば、年末年始をはさんで始まる通常国会における「共謀罪創設」や、集団的自衛権の憲法解釈変更につながる「国家安全保障法」成立まではまっしぐらだろう」

と書いたらある人から

「本当にそんなことがこの日本で起こると思っているのか? お前の言うことは考え過ぎだし、これ以上不安を煽ってどうする気だ? カルトだ」と言われた。

(多分僕の不安から出てくる想像が彼には見たくも聞きたくないものだったのだろう。)

ところがまっしぐらに本当にここまできてしまい、安保法案成立が大詰めを迎えているせいもあってか、8月に入ってからテレビでは6日、9日の広島・長崎、戦後70年談話、15日の終戦記念日等に因んで先の戦争を振り返り安保法政の是非を問うといったトーンの特集番組が数多く放映されていた。

(2年前の自分の切羽詰まった気持ち(本当はずっと昔から)を今更ながら見せつけられているような感じだった。僕に先の言葉をぶつけた人はどう思っているのだろう?)

僕が気になったのは「被爆者を含めた戦争体験者の平均年齢が80歳となり、年々語り継ぐ人が減っていく中、今後どのようにこれらの記憶を語り継ぐべきか課題が取り残されています」というどこか人ごとのようなセリフ。

これまでだって皆、懸命に繰り返さないために語り継いできたはずなのに、なぜか事態はここまできてしまった。

なぜそこを掘り下げない?

語り継ぐことは悲劇を繰り返さないための十分条件であることに疑いの余地はないが、多分必要十分条件ではない。

過去の悲劇を踏まえ、そこから最悪のケースを想定しつつ、それを回避するためにどのような未来を思い描くか。そんな想像力は金勘定だけが得意になった人たちは持ち合わせてはいないようだ。

戦後70年かけて豊かさと引き換えに日本人が失ったものとはそんな想像力だろう。

世界一の安全基準とやらを満たしたという川内原発がこの間ちゃっかり再稼働したが、桜島が噴火した際の九州電力の破局噴火予測を示したマップを見ればそれは明らかだ。(川内原発を記す黄色い四角マスにだけは被害が及ばないそうだ。)

語り継がずともまだ記憶に新しい原発事故でさえまた繰り返そうとしているではないか。

再び原発事故は起こるだろう。その時この予測マップを見てまた「想定外だった」と言うのだろう。

そんな連中を相手にしているのかと思うとなんだか馬鹿馬鹿しくなる。


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