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2011年8月29日 (月)

「20ミリシーベルト基準」の役割とは?

8月25日の朝日新聞の朝刊で奇妙な記事を目にした。以下がその抜粋だ。

“学校の校庭利用をめぐる放射線量基準について、文部科学省はこれまで示してきた「年間20ミリシーベルト」の目安を撤廃する方針を固めた。基準を定めた今年4月と比べて線量が大幅に減ったため。児童生徒が学校活動全体で受ける線量を年間1ミリシーベルト以下に抑えるとの目標は維持するという。
〈中略〉
文科省はこの夏、基準を改めて検討。自治体による校庭の土壌処理も進み、福島県内の学校の線量は現在3.8マイクロシーベルトを大きく下回っていることから、「役割を終えた」としてこの基準を撤廃<する考えだ。“

これまで保護者から「上限20ミリシーベルト」は高すぎるとの批判が噴出していたので、今回の発表は親達の要求が受け入れられたと喜ぶ向きもあるかもしれない。

だが、発表の内容をよく読み解くと、「喜ばしい」どころではないことなど子供にでもわかる。

憲法にもあるように、すべての国民の健康を第一に考えるならば 線量が高いときにこそシビアな基準をもうけ避難を促すべきではなかったのか? 放射線量が高い時の基準が甘くて、低くなってきたから基準を下げるというのは何かおかしくないか?「役割を終えた」というその役割とはどんな役割だというのか?

考えられることは、「20ミリまで大丈夫なら我慢しよう」と考えさせ、その者をそこに留まらせようとしたということ、そしてこの問題には敏感で「20ミリ基準」の危険性をよく知る者を逃がそうと考えたということだろう。

さらに子供に対する危険性だけは強調する必要性があるので、小佐古敏荘内閣官房参与(4/30辞任)にひと肌脱いでもらったというのは考え過ぎか?

あえて相反する情報を流し、トータルに判断する材料をも与えたうえで、上記のような複雑な動きを発生させようとしたのではないか?

もしそうだとしたら、「全ての国民の健康」ではなく「極力パニックになるのを抑える」方を国は優先したということだ。

そのように読み解けば、たしかに「20ミリ基準」は実に見事にその役割を果たしたといえるのかもしれない。

クソッタレ!!

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