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2011年8月21日 (日)

秀才は原発を維持できない

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 先日、NHKが放送したETV特集「アメリカから見た福島原発事故」を見た。内容は今回事故を起こした福島第一原発で使用されていた「マークⅠ型」の原子炉を設計・製作したゼネラル・エレクトリック社の技術者の一人が1970年代にこの原子炉の欠陥に気づき、アメリカの科学者達の間で研究検証がなされた結果、1980年代にアメリカでは「マークⅠは廃炉にするべき」との結論が出されていたというものだった。

アメリカでは20年程前にその結論が得られていたにもかかわらず、様々な経過を経て事ここに至ってしまったわけで、それだけでも驚きと憤慨の連続だったが、特に印象的だったのは最初に欠陥を告発したGEの主任技術者デール・ブライデンボウ氏の誠実な態度と日本の元原子力安全委員会原子炉安全基準専門部会部会長の村主進氏の無責任極まりない態度と発言との対比だ。

日本の原発はアメリカの誘導により始まったというのは自明であり、私はアメリカ国家に対しては原発以外でも以前よりあらゆる点で反駁があるがここでは触れない。ただ、裏切り者とレッテルを貼られても真実を告発したブライデンボウ氏のような人物が存在していていた事や、スリーマイル事故後、ブライデンボウ氏らの意見を揉み消してきた姿勢を改め、原発を新たに作る事を否とし、原子力事業から手を引いた点だけはアメリカの健全性はわずかではあるけれども保たれていると感じた。(クソのような隠蔽体質は日本以上にあるけれども…。)

だが、前述した村主氏の発言には容認し難いものがある。
彼は「全交流電源喪失をしないようにする。そのためには安全設備を多重多様にし、共通原因故障をしないこと、それが信頼性につながる」と発言していながら、非常用発電機が海側地下の同じ場所に2台置かれていたことを指摘されると、「審査指針に違反した設計である」としながらも「マグニチュード9の地震と津波など想定外で、そのようなケースに関しては考える必要がなかった。」つまり、違反していながらもその設計を審査で通してしまったと告白しているのである。

私は専門家ではないのでわからないが、これって業務上過失致死とかにならないんだろうか?これだけの事を国営放送で発言していてこの審査に立ち会った人間達はお咎め無しで済むんだろうか?

番組を見終わった後、私の中にも苦いものが残った。それは村主氏に代表される「想定外は考える必要なし」という思考回路は何処で養成されるのかと考えたとき、長年塾の講師をしてきた自分も、学習指導や受験指導を通してそれと同じ考え方をテクニックとして子供達に説いていた事に思い当たったからだ。

「難しい問題は後に回し、出来る問題から先に解く事。」
「私立高校によってはワザと難問を配置しておき、それが手に負えるのか負えないのかを判断させる時点から篩(ふるい)にかけてくるので、よく見極め、罠にはまらない事。」などなど。

超一流と言われる方々ならまた別の声のかけ方もあるのだろうが、片田舎の平凡な一講師であった私は塾講師として「ステレオタイプ」のこれらの指導に何の疑いも持たずに子供達に施してきた。そしてこの「制限時間内での点取り法」が日本人全般の思考方法に強く影響していると思うのは考え過ぎだろうか?

もしそうだとすれば、村主氏に代表される「想定外は考える必要なし」という思考法を選択している人間は政府や官僚機構など国の中枢に位置する部門や東電などの一流とされる企業の中にこそ五万と存在しているはずだ。彼らこそ、その思考法の使い方を熟達することによってそのポストと利益を得る事に成功した「秀才」たちだからだ。

だが、平時には通用する「効率性重視」につながるこの思考法は危機的な緊急時には役に立たなかった。だからこそ今回の事故は起きたのだ。

そしてその根の深さは現状が物語っている。

その証拠に、スリーマイル事故後のアメリカのような結論を「人類史上最悪の放射能汚染事故」を引き起こしていながら日本人はまだ出せないでいるではないか。

おそらく政府を含めた事故関係者に限らず、多くの日本人は、「難問を後回し」にし「出来る問題から解く」事で、事態が収束すると考えているのではないか?

震災・原発事故発生時から現在まで今だ「緊急事態」が進行中であると考える私は、ここにきて「秀才的な思考空間」を取り戻しつつある世の風潮や論調に非常に苛立ちを覚える。

3.11以前の秀才たちには事故の収束も今後の原発の維持も管理もできないだろう。

「難問だからこそいち早く解かねばならない。そのための能力を鍛えるために学問はあるのだ。」とまずは子供達へのアナウンスから変えなければならない。

だが私たちにそれを育て、醸成させる時間はあるのだろうか?

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コメント

 今、娘に聞くと点数にA,B,Cとランクがあって1問だけ選べる。どれであれ解ければ落第はしない。ただランクの低い問題を選択した者はもちろん高得点は望めない・・・という試験があるそうです。僕はもの凄く難しい問題を1問だけ出す。解けて一抜けできたら2枚目の易しい問題のプリントが貰えるという試験方法を考えたのだが・・やっぱ、それじゃ駄目だな。

 でもこれからは一番難しい問題からアタックして、うんうん唸って、努力した子を褒めてやれるようにしたいものですな。

基礎がしっかり身に付いていなければ実は応用問題は解けないんだけどね。

だから難問ができなくても「そこそこ」で結果が得られてしまうというところが実は問題なのかも。
全問解けなければ合格できないってのはどうだろう?
日本の小学校は年齢に応じて進級させてしまうけれど、ドイツなんかではレベルに達していなければ進級させない、弟の方が学年が上なんてことがあるらしい。

そういう事じゃなかな?
そういうのはどう?


 それだと家の息子は娘と学年が入れ替わっていたかもしれん(爆笑)。息子は中学校の時、とんでもなく成績が悪くて、親が教えても、塾に行っても、どの教科もどれ一つ、ピクリとも、1ミリも、なーんも上がらなかった。進路指導の先生も、塾の先生も、半分以上さじを投げていて、行ける高校があるかどうか、なんて言われるほどだった。でも、毎日毎日ひたすらひたすら、憮然と、もう、止めて寝ろ!と僕が言うくらい勉強していたよ。

 そして、劇的に最後の頃になって、いきなり良くなった。 今でも、息子の通っていた中学校では息子を散々駄目だと言っていた先生が受験生の親に、「私が長年教師をしていて、改めて子供の力を思い知らされた・・・」という例として、毎年、息子の話を(勿論、匿名で)するそうです。一度、それを妻が聞いて、息子のことだと分かって泣いていたよ。

 彼は難しいものから手をつけるやつだったんだよ(基礎が無いのに)。

これ、良いブログですよ。http://cafe-hendrix.air-nifty.com/downtown_diary/

ナヴィ村さんへ
合理性や効率性に結びつくのが知性だという発想をあらためなければならないってことだ
ね。合理性や効率性を無視するとドラマが生まれるってことか。恐れ入りました。

マンボさんへ
良いブログでした。白河で家庭菜園のトマトを食べるくだりは、私もいわきに住むおじ、おば
のところでまるっきり同じ事を経験したのでリアルに受け止めることができます。そういう微
妙なところって、まだ他県には伝わってない部分かもしれない。そしてこの感覚を常に強いら
れている福島県人とニュースや雑誌の記事、電車のつり革広告で目にした時だけその事について考えるという地域ではまだまだ意識の差があるのでしょう。

過去の汚染事件とかインフルエンザとかって、じわりじわりと近づいてくる恐さがあるけど、
大事故による放射能汚染は一気に広範囲に襲ってくるから対応できません。事前に予測されてでもいるのなら別ですが、それにしたって拡散予測を“スピーディー”にしてくれなきゃ
どこにどう逃げていいのかもわからないですしね。(ワクチンもないし…。)

ということで国はこの“人類史上最悪の放射能汚染事故”に際して、O157やインフルエンザ
みたいに対応するようにしか動けなかったって事で、福島県から遠隔の自治体や人々もまた、そのように動いているというのが現在の状況だと思います。

この時代を生き抜く術はやはり福島からだしていくしかないのでしょう。

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