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2011年11月

2011年11月30日 (水)

ありがとう、鎌倉

             

前回報告した「福島県人大望年会」の翌日、11月24日から28日まで私たち家族は神奈川県鎌倉市で時を過ごした。

9月に長井を訪ねてくれた鎌倉市に住む古くからの友人に、旅行をプレゼントされるという身の震えるようなご好意に一家4人、思いっきり甘える形での滞在となった。

初日は学生時代を過ごした三鷹市にある「ジブリの森美術館」を見学し、夜7:30に鎌倉入り。

七里ケ浜沿いにある鎌倉プリンスホテルhttp://www.princehotels.co.jp/kamakura/
は海から40m以上の高台に位置し、震災で海沿いに滞在することに少なからず恐怖心の残る東北人に対する友人夫婦の細やかな配慮が感じられて嬉しかった。

さて、その後は怒濤のグルメ・サーキット。ボータン、コマチーネと鎌倉通でなければ通えそうにないそれらの店で彼らにとって馴染みの料理人が繰り出す料理、選ばれた自然派のワインの品々。どれもいわき市で洋食屋を営み料理人だった妻を唸らせるものばかりだった。(私は「海鳴」と書いて「うなる」と読ませるラーメン屋の「味噌煮干しラーメン」に本当に唸った。「ウ〜ン、うまい!!」)

おまけに自宅にも招かれ、巨大なワイン・セラーから選び抜かれたワインも最高だった。部屋にディランが流れていたのも良かった。曲は「運命のひとひねり」

人力車、大仏、鶴岡八幡宮などなど抑える所はしっかり抑えたが、やはり一番の感激は27日夜に用意されていたパーティ。このご夫婦同様、私が突然東京から姿をくらましてから23年間、連絡のやり取りも含めただの一度も会うことがなかった旧知の人々との再会は感慨深いものがあった。

中でも、原発事故が会ったとき私たちのことを心配してくれていたこと、3月14日にいわきを脱出したことをある筋から聞き、手を打って喜んだなど、恐縮するような話しも出てきて、生来の己の「筆無精」を心から恥じたりもした。

印象的だったのは、久しぶりにあった友人、先輩達が皆原発事故に高い関心をもっており、そのことをハッキリ口にしていたことだ。初日の三鷹で東京の人々を見て、皆が私たちの前で何かを演じているのではないか?という感覚に襲われた私は、外側の世界からまた元いた内側の世界に戻ってしまった「トゥルーマン」のように感じていたが、内側にも同じ真実に気づいてしまった人たちを見つける事ができた。それが彼らであったことが嬉しい。

若き日にR&R、R&Bで育まれた感性は伊達ではなかったということか。

U野夫妻に心からの感謝を。そしてみなさん、会えて嬉しかったです。ありがとう。時代の転換期におけるこの再会。偶然なんかじゃないし、偶然にはしない。今度は20年以上も時をあけるのはやめにしよう。

※アップしたのは私が好きな鎌倉のうた。映し出される季節はちがうけど、私から鎌倉へ愛を込めて。

2011年11月29日 (火)

11・23 福島県人大望年会 in 長井

            

11/23は兄の経営する宴会場&居酒屋で「福島県人大望年会」が行われた。兄の企画に乗り、私が声かけに歩き、お年寄りから子供まで、長井市に避難している福島県人30名以上の集いとなった。


会に先立ち私は、「復興して街並みが元にもどっても、そこに子供たちの声が響かなければ真の復興にはなりえない。国や自治体が見落としているのはまさにその点であり、子供を抱えてここに避難してきたお母さんたちは復旧作業にあたる自衛官同様、英雄です。」と自分の考え方の一端を紹介させていただいた。


その後各家庭から1名ずつ現在に至る経緯や現在の心境を語ってもらったが、一言で避難者といっても抱えている現状や不安は様々で、とてもひとくくりにはできないという印象を受けた。


家をすべて津波で流されたうえに原発事故で何も手にすることなく逃げてきた老夫婦の話や、家族を車に乗せ、時には川べりの車の中で夜を過し、各地を転々としながら長井に辿りついたという父親の話、自主避難者をしたものの将来もといた場所に帰ることを残った人々に許されるかどうかという不安を口にする母親など、時には声を詰まらせ、一語一語丁寧に語られる言葉からは8か月たっても緊張状態が継続していること、まだ何も終わっていないことを改めて感じさせられた。


福島県から他県へ避難した9万人以上の人々をこのような複雑な状態に放置したまま、すでにそれを「過去の出来事」として風化させることに躍起なこの国とマスメディアの姿勢には改めて「NO」を突き付けたい。


大手新聞社のお家騒動やら、どこかの社長のバカ息子が100憶カジノにつぎ込んだとか、そんなことはどうでもいい。あんなもの、震災・原発事故・TPPから国民の関心をそらすためのメディア&財界ぐるみの「出来レース」じゃないのか?東電が刑事告発されている事実を自戒を込めて連日連夜放送しろ。


そもそも東電に有り金全部を吐き出させ、倒産させたうえで国が賠償に責任を持つというのが筋である。東電を温存したまま公的資金を投入するなど悪夢としかいいようがない。


会場ではにぎやかに子供たちが駆け回っていた。この子どもたちにどのような未来を残すのか?本当はそこから始めなければならないはずなのだが、国によってその事が検討された形跡はない。頑なに“経済”という名の「使い古された希望」を提示するのみである。


あてずっぽうな予感でしかないが、まもなく資本主義は終焉を迎えるだろう。その時、今回の震災・原発事故を経験した被災地や避難者の中から、「新たなる希望」が提示されるはずだ。そのために私は後半生を賭けようと思う。   


瓦礫の中に、荒地の中に、君が見えてくる。

2011年11月22日 (火)

Walk with you

             

停滞しているのか前進しているのかわからない毎日。経済的にゆとりがあるわけでもなし、
半年後、1年後、5年後、10年後の自分がどうなっているのかも見当がつかない。

でも、全然暗くならない。これまでの生活を投げ出したら、それだけでそれまで手にいれられ
なかったものが(本当は失っていたものかも…)手に入った感じ。

今日は良い夫婦の日だそうだ。愛する家族のいる場所が故郷。つくづくそれを実感する毎日。

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※写真のキャベツは1個100円。すべての野菜がこんな感じでそれだけで笑っちゃう。

2011年11月17日 (木)

再就職

              


12月から長井市のNPO法人「レインボープラン市民農場」で働く事になった。
原発事故後の対応やTPP騒動を通じて私はこの国に絶望してしまった。この国のあらゆる経済活動が何から何までデタラメに見えてしまう。一体今まで得体の知れないものにいくら金をつぎ込んできた事か? この事態を引き起こした責任はこれまでの私たちの暮らしぶりにもある。
妻と幼児二人、義父母、義祖父を抱え、自分一人の思いだけで我が家の経済を大きく後退させる事は出来ないが、少しでも自給自足型への転換を試みようと思う。それがこの「日本という嘘」から逃れるただ一つの道だ。
長井市の至宝「レインボープラン」でその一歩を踏み出そうと思う。

2011年11月12日 (土)

TPPは原発事故以上の破壊を我が国にもたらす

             


一部の人間達に国を乗っ取られている事に反発して現在全米各地でデモが継続中である。
原発事故後の対応やTPP参加に関する「民意の反映のされなさ」を見る限り、一部の人間に国を乗っ取られているのは我が国も同様だ。そしてその一部の人間達とはおそらく同一の連中だろう。

TPPが如何なる代物なのかも理解せずに参加を表明してしまった首相に怒りの声が巻き起こっているが(下記URLを参照)
http://hibi-zakkan.sblo.jp/article/50260648.html

これってすでに野田政権がアメリカの傀儡だって事じゃないか?

それにしても関税自主権を回復するために小村寿太郎をはじめ、先人達がどれほどの苦労をしたのかを熱弁した私のかつての授業は何だったのだろうと思う。 

大体ネイティブ・アメリカンがアメリカ合衆国との間に結んだ条約を全て反古にされている事実を日本人は知らな過ぎるのだ。アメリカが叫ぶ「自由と平等」は存在していないからありがたがられているのに。

「世界を一つに」と考える時、私の中にあるイメージはやはりホピのシンボルマークのそれである。地球という一つのサークルの中に、十字のラインが引かれ、その中で、白マル(白人)と赤マル(赤色人=ネイティブ・アメリカン)と黒マル(黒人)と黄の丸(黄色人)が納まっている図だ。
ウルトラQ(古くてゴメン)の始まりのようにそれを混ぜ合わせてはいけないのだ。(TPPはオセロのように全ての色を白に変えようとするものだが。)

Image

私たちは今、アメリカを通して資本主義の崩壊を目の当たりにしている。その最後の悪あがきにまでつき合わされる事は避けなければならない。

2011年11月10日 (木)

極寒の冬は“生”を豊かにするための装置なのか?

         

今日は気持ちのいい一日だった。夕暮れもとてもきれいで子供達と手をつないで歩いた。
今は見事な月が私たち家族を照らしている。

もうすぐ冬が来る。46年生きてきてこれほど冬の恐ろしさをレクチャーされた年はなかった。

視界0、近隣の町では電線をまたいで歩く事になるらしい。車内で油断して眠ったりしたらそのまま死につながるとのこと。

だが、だからこそこの町の人々は、春・夏・秋を存分に楽しむのだろう。私たちよりもその感受性がひときわ豊かなわけはこの冬にあるはず。

私もそうなりたいと思う。来春、私はサイケドリックでエキセントリックで香しい風景に遭遇するはずだ。自分の身に何が起きるのか? 楽しみでもある。

2011年11月 6日 (日)

パワポゲッ! ピープル・ゲット・レディー!

            

職業訓練もあと2日で終わり。昨日山形市でWord・Excelに続いてPower Pointも合格した。この資格って取ったから何なんだい? てなもんかもしれないけど、長年プライベートではMacを使い、職場で必要な場面でのみWordに触れる程度だった自分には大変勉強になった。

山形の方々とともに朝9:00〜17:00までパソコンに向かい、タッチタイプの練習をしたり(1分間に123文字しか打てるようにはならなかったけど…。)Power Pointを使ってプレゼンテーションの練習をするのは楽しかった。

特に朝イチの授業で毎日必ず順番で15分から20分程度のスピーチをする時間があったのだけれどこれが面白かった。皆テーマは自由でいろいろな話しを聞かせてくれたが、どれも人生経験に裏打ちされたものばかりで、おまけにざっくばらんに何でも話すもんだから、朝から大笑いしたり、涙ぐんだり、変な気分になったりして大変だった。(語り部をしてる方の地元の民話が始まったり、死を覚悟する程のどん底から復活を遂げた方の話し、旦那との関係が冷えきっているとの告白などなど。)

女性17名に男3名。この環境で勉強出来た事を忘れないだろう。なんせ私は不遇の男子校出身だから。

私にも3回スピーチする機会があった。1回目は塾の授業内でよく行っていたマッチ棒クイズ、2回目は睡眠時無呼吸症候群について、そして最後に「ホピの予言」を紹介した。

「強く賢い女性たちに力を貸す。」これが私のマスター・“ジェダイ”、じゃなくて“ホピ”から得た教訓である。

この職業訓練から再生を目指す事になったのは私にはふさわしかったと今にして思う。

来週からはコーチ認定の資格取得に向けて動きだす事になる。

それがどこに自分を連れて行くことになるのかは知らないけれども。

2011年11月 2日 (水)

この国を愛する方法は他にあるはず

             


前回TTPに関してほとんど直感で自分の感じている事を書いたが、見当違いというわけでもなかったようだ。

だがそれは喜べる事ではない。
(このブログのマイリストの欄にある「マスコミに載らない海外記事」には実に驚くべき記載が見られる。“リビアで二度と見られなくなる16項目”は是非読んで欲しい。)

私たちは今公然と自国が売り渡される瞬間に立ち会っているのだ。

今回もまたネイティブ・アメリカンの話しになってしまうが、歴史を振り返れば、アメリカという国がネイティブを従属させ、奪い取るために、如何に非道の限りを尽くしたのかを嫌というほど目にする事になる。
http://www.indeanakama.com/history/law.html#top

民主党のTPP推進派のある議員が、『日本が主権を訴えるのは、50年早い』と発言したとの事だが、この議員がTPPは米国隷従を深めると自覚したうえで推進を唱えている確信犯であるとするなら、その真意はどこにあるのだろう。

西には中国のから脅威が差し迫っており、それに飲み込まれるよりはアメリカのそれの方がまだましだと、その程度に考えているのかもしれない。確かに現代の日本人にはその方がアレルギーは少ないだろう。

だがそこにはプライドのかけらもない。

私は冗談でよく社会科の授業中塾生たちに、日本は今一度鎖国するべきだと説いていたがこれもまた検討違いではなかったのかもしれない。

自国で生産された食料だけで生存を試みるのは、ホピが生き残るために私たちに示した最後の道につながる。

「自給自足」をいかにして実現するかを真剣に考えている。

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