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2011年12月

2011年12月31日 (土)

レインボープランと虹の戦士No2

           

「地球が病んで動物たちが姿を消しはじめるとき、まさにそのときみんなを救うために虹の戦士たちがあらわれる…。」とはネイティブ・アメリカンの間に伝わる民話の一つだが、この話しを翻訳して日本に紹介した北山耕平氏はその前書きとして次のような文章を寄せている。以下、少々長い引用になるが一部を紹介したい。

世界各地の先住民の教えが伝えている。地球が病んで、動物たちが姿を消し始め、人々が健康を失って愚かな振舞いを始める頃、つまり、地球の変化が激しくなって「偉大なる浄化の時」が始まると、伝説や、物語や古い教えや、儀式や、神話や、太古の部族の風習などを、しっかりと守り続けてきた者たちの時代が到来すると。地球上の生命あるものたちの生存の鍵を握っているのはその人たちだ。(中略)

「虹の戦士」とは、その人たちを指す。虹の戦士たちは、誰からも命令や指示をうけない。戦士は「指示や命令がなければ動けない兵隊」とはまつたく異なるからだ。虹の戦士とは、自分が好きになれるような世界を作るために、何かを自発的に始める人たちだ。正義と平和と自由に目覚め、偉大なる精霊の存在を認める存在。日本列島は、母なる地球は、その人たちの到来を必要としている。虹の戦士たちは、この教えを地球に生きる人々に広めることになるだろう。…(虹の戦士『太田出版』前がきより引用)http://www.amazon.co.jp/虹の戦士-William-Willoya/dp/4872334795/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1325336335&sr=1-1

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さて、先日私は「レインボープランの関係者による忘年会があるけど参加する?」と理事の一人であるY氏から声をかけていただき、29日の夜、その会場へと足を運んだ。

だが、私の浮ついた気分とはうらはらにその会は和やかな雰囲気の中にありながらも、レインボープランから送りだした市議会議員のE氏の活動報告や、国を相手に反TPPの旗頭として活躍するK氏の現状報告などを含めた大変真面目なものであり、私のような新参者がこの場にいてもいいのかと恐縮することしきりであった。

その後は場所を変えて楽しいお酒の席となったが、このような席の中でも、語られていたことは、長井市の未来であり、長井市の自然をいかにして次の世代に引き継ぐのかであり、経済を物差しとしない豊かさのとらえなおしであり、それはすべて、動植物を含めた“命の循環”の話しであった。そしてまた、その“命の循環を理念とした町づくり”をいかにして全国に広めるかに至っては“今後の日本をどうするのか”に結びつくのであった。
「命の循環を掲げ、世界に冠たる長井市を作る」
「ちいさな世界都市、世界市民を作る」
「目先の活動ではなく、2050年を目指した活動」などなど。

これらが若者が酔った時に勢いで語る机上の空論的な理想論ではなく、十分に人生経験を重ね、着実にそれに向かって行動し続けてきた諸先輩方の口から聞かれた時の嬉しさといったらなかった。(逆を言えば、皆さん若者のまま大人になった方ばかりだということかもしれない。)

私は“虹の戦士”たちについに出会ったのだ。

普段私たちは、何か仕事に取り組む際には必ず目標数値が設定され、それが達成できれば評価され、達成できなければ評価されないという社会に生きている。

その手法は当然のように採用され続けているが、それは経済活動においては短期的に結果を要求される場面が多いからである。つまり“出来るだけ短い時間で金を生み出す能力”がもてはやされるということだ。

だがそれ故、逆に短期的に結果の出せる仕事にしか手を出さないということになれば、そこからこぼれ落ち、取り残されてしまう項目も現れる。

それは“伝説や、物語や古い教えや、儀式や、神話や、太古の部族の風習などを、しっかりと守り続ける”や“環境を保護する”ということである。

私はこれまでそれは行政の仕事だと漠然と考えていたが、首長をはじめ市議や県議も任期中に成果を要求されるとなるとやはり民間と同じ思考に陥ってしまうらしい。 環境保護などは何世代にも渡って経過を見ない限り成果などわからないからだ。(なんかあたりまえのことを書いているのかな?)

ネイティブ・アメリカンは7世代先の子孫のことまで考慮したうえで物事を決定するという。彼らは目先ではなく、もっと遠くを見ているのだ。
(バイク教習を受けている時に教官から言われた。“近くを見ると転倒する。遠くを見なさい”と。)

レインボープランが“2050年を見据えて活動する”などはまさにネイティブ・アメリカンのスピリットそのものである。

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私の母校の大先輩であり、大詩人の草野心平氏(私たちは親しみを込めて彼を“心平さん”と呼ぶ)は福島県の自然を愛し、数多くの作品を残した。
(特に川内村・平伏沼のモリアオガエルをモチーフにした作品は有名で“かえる語”で書かれた”ごびらっふの独白“などは彼のユニークな才能が全開で炸裂しており私は大好きである。)

だが、私たち福島県人は、個人商店ではなく大型量販店を受け入れることで、個人経営の小さな食堂ではなくファミレスを受けいれることで、雑貨屋ではなくコンビニを受け入れることで、商店街にならぶ八百屋や豆腐屋や肉屋や魚屋でななくスーパーマーケットを受け入れることで、泥付き大根ではなく漂白された真っ白な大根を受け入れることで、そして火力や水力発電所ではなく原子力発電所を受け入れることで、先人が愛し、先人から引き継いだものを放射能で汚してしまった。

私はそれを心から悔いる。

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長井に来た頃、人々の集まりに参加するとよく「長井の心」という言葉を耳にして気になっていたが、それが何を指すものかは、長井出身の芸術家・長沼孝三氏の彫塑館を訪ねた時に知ることとなった。
館内にはとても優しく温かいフォルムを持った作品群に紛れて、氏が生前記したという言葉が慈愛溢れる字体で額縁の中に飾られているが、そこには次のように書かれてる。

  長井の心

新しい長井橋の上に立って
周囲の景色を眺め更めて
その美しさ 大きさ 静けさを
見直された方も多いのでは無いでしょうか
この様なすばらしい自然の中に
生まれる風俗習慣は 当然
平和を愛し 共存を尊ぶ
心の表れとなるでしょう
私は日頃人間形成の最も
重要な条件は 故郷の
自然環境 そして 風俗習慣
であるとかんがえて居ります
長井に生まれ 「長井の心」で
育ったことを誇り 感謝
して居ります
昨今世紀末的な 倫理の
崩壊が叫ばれて居る時
二十一世紀に向けて「長井の心」
こそ世界の心の原点として
大きな役割を果たすものと思います
「長井の心」は世界の宝
     大切にしましょう

私はこの言葉に賛同する者である。“長井”を“福島”や“いわき”にそしてこれを読む人がそれぞれの故郷の名に置き換えても全く違和感がない。もちろんそれが“日本”であっても。

それをどのように発信して人々の心を呼び覚ますのか。
その力になりたいと思う。

2011年12月24日 (土)

長井で雪わたり

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http://www.amazon.co.jp/半日村-創作絵本-36-斎藤-隆介/dp/4265909361/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1324727714&sr=8-1


私たち家族が避難している山形県長井市はとても素敵な町で、「トナカイ急便」というNPO法人がある。

クリスマス・イブ・イブの23日の夜にサンタクロースに扮したボランティアたちが、事前に親たちから預かったプレゼントを各家庭に訪問して子供たちに届けて歩くというのがその活動。

毎年、サンタがいることを子供たちに信じ込ませようと、お父さんやお母さんが奮闘を繰り広げる微笑ましいエピソードを私は前職(塾講師)に在職中、数限りなく耳にし、それを聞くのが好きだった。

この町はそれを町ぐるみで行おうというのだ。(イカしているじゃないか!)

昨夜はちょっとした手違いで我が家はそのサービスを受けそびれてしまった。でも大丈夫。この町にはまだ素敵なイヴェントがあった。

前回報告したフォーラムで知りあった農家レストラン「なごみ庵」http://nagomi1224.exblog.jp/もなんとこの長井市にある。そして夕べは民話や読み聞かせ、紙芝居など、大人が聞いても心があったまるお話し会(軽食つき)を開催するというのだ。

雪の中、お話を聞き行く。こんな楽しみはおそらく雪国ならではのものだろう。
私は宮沢賢治の「雪わたり」を思い出した。

私は義母と娘を連れて雪景色の中「なごみ庵」を訪ねるとそこにはキツネではなく、囲炉裏をはさんで語り部(おはなしキャラバンりぼん)と20名以上の子供からお年寄りが会の始まりを待っていた。


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絵本の読み聞かせや昔語り、紙芝居等、いくつかのお話を美味しいお食事とともにいただいたが、私が一番感じ入ったのは上に紹介した「半日村」というお話。復興に立ち向かう福島県人と理想を追い続けるレインボープランの姿がだぶって見えた。


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会を終えて義母と娘としんとする雪の夜を帰路についたが、寒さも忘れてとても温かいものが私の中に残った。それは昔祖父母が管理人を勤める温泉保養所で冬の風呂上がりに家族で渡り廊下を歩いているときの感じ似ていた。

それは22年間働き詰めても私が手に入れられなかったものだ。

もし冬に山形県の置賜地方を訪ねる機会があれば、是非長井市まで足を伸ばして欲しい。心優しいサンタとキツネが雪を溶かす程の温かさであなたを迎えてくれるだろう。

2011年12月20日 (火)

ニューファーマー・フォーラム2011レポート(NO2)

             

さて、基調講演のあとは山形県内で活躍する農業に関係する女性たちからの活動紹介へと移ったが、タイトルは「先輩&若手女性農家に聞く・農における女力」というもの。

5名の女性登壇者は職業や立場が異なっているものの皆魅力的な方々ばかりだった。

女性のみの農場を設立し多様な活動を展開する若手女性経営者
http://www.kf831.com/girls/index.html

嫁として農園を切り盛りしながら、地産地消や担い手育成でも活躍する主婦
http://www.city.yamagata-yamagata.lg.jp/shiseijoho/sub2/kakuka/kikaku/danjo/annai/files/purana/No.34/34-2.pdf

地域の食文化の伝承、農産加工の推進にも努める農家レストランの女性オーナー
http://nagomi1224.exblog.jp/

小学校の体験授業で米作りに魅せられ、以来夢を追い続けて就農にこぎ着けた女性
http://agrin.jp/page/3825/

東京在住でありながら地方の農家の応援隊を結成しボランティアとして活躍する女性
http://www.treep.jp/blog/earthday/

(活動報告はどれもとてもおもしろかったのでそれぞれのURLをクリックして是非その一端に触れて欲しい!)

活動報告の中で印象に残った言葉を紹介させてもらうと

農業をやりたい女性は増えている
女性らしい農業とは楽しい農業
男性であること、女性であることの前に大切なのは人であること
みんなが楽しく働けるようになるにはどうしたら良いのかを考えるのが女の力
農家レストランの3つのこだわり=地産地消・手作り・季節のもの出す
女性が農業をやっていても違和感のない社会を作りたい
小学生の頃から米を作りたくて雑草を使って田植えごっこをして遊んだ。
都会の人が土に触れるきっかけを作りたい、などなど。

(女性ならではの発言の中にハッとさせられるものもあった。)

何か不純な動機を疑われそうで恐縮だが、個人的には若手女性の方々の今後に大変興味をそそられた。

事前の下心に関しては前述した通りだが、彼女達の話しを聞いていて私が思い出したのはフランス現代思想家・内田樹氏の言葉の数々である。

例えば、神戸女学院大学の文学部名誉教授として20年以上女子大生を指導してきた内田氏は「最終講義〜生き延びるための六講〜」(技術評論社)に「生き方のシフトは若い女性から」と題して次の様に述べている。

“…昔だったら間違いなく「こんな田舎でくすぶって家業なんか継いでもしょうがない。早く都会に出て、横文字職業に就きたい」となったと思います。でも今の人たちはそうじゃない。田舎暮らしも農業のことも、とても肯定的に、面白そうに話してくれる。おじいさんおばあさんが農業やってて、両親はやってないんだけれども、このままだと継ぐ人いないから私がやろうかな、そんなことをごく自然に言ったりするようになってきました。風向きがずいぶん変わったなという感じがします。…中略…どう見ても若い女の子たちの方が、時代の潮目の変化を感知している。“ 

私はこの日、“時代の潮目の変化を感知している若い女性”を見たのだった。

今は地球全体で異常気象ゆえの災害が猛威を振るっているように見えるが、それは地球生命体が自らのバランスを取り戻そうてしているからこそ起る現象であると言われている。もしそれが事実なら、母なる大地といわれる通り、自然とどこかでつながっている女性たちもこの地球の動きに”感応“し始めているのではないか?

フォーラムが終了した後の交流会で、それを裏付けるような話しを登壇者の女性たちから聞くことができた。

応援隊を結成してボランティア活動を行っている女性からは「都会にいると土に触れたいという欲求に駆られる時がある。細胞の奥から動かされているという感じがする。」なんて凄い言葉が聞かれたかと思うと、ガールズ農場の代表からは「教育学部で心理学を勉強していたが、子供に安心できる環境を残しているのかと疑問を感じるようになった。」など、教育の一端を担う現場で働いていた私には十分に共感できる話しを聞かせてくれた。

さて、話しはつきないが、最後にこのフォーラムに参加して私が感じたことを2つ記してこのレポートを終了したいと思う。

まずひとつは、原発事故後の世界を“復旧・復興”ではなく“転換”させなければならないと考える私のような者にとって、やはり「農業と女性」は重要なファクターであることを改めて認識させられたということ。「経済優先」ではなく「生命優先」の世界はこの二つの中から立ち上ってくるはずだ。

ふたつめは、農業をとりまく環境が依然厳しいものだとしても、今回のように知識や経験、精神が継承される場が機能する山形県の農業をたても羨ましく感じたということ。

(放射能にまみれた我が福島県の農業は今後どうなるのか? パネルディスカッションではTPPに対する危機感についても触れられたが、福島県はその土俵にすら上れないのだ。)

今回集まった若い農業人たちのこれらの動きをTPPなんかで台無しにしないで欲しい。そしてTPPなんかに負けないで欲しい。そんな思いを強くして会場を後にした。

2011年12月18日 (日)

ニューファーマー・フォーラム2011レポート(NO1)

            

15日に山形県新庄市の山形県立農業大学校「緑風館」にて行われた「ニューファーマー・フォーラム2011」に参加した。
このフォーラムへの参加を勧められた時
「私のような素人が参加していいものか?」
と戸惑ったが、ネットで今回のテーマを確認するやいなや、すぐにその不安は雲散霧消となった。

そのテーマとは『女の力〜私たちの視点、そして、男性に求めるもの〜』というもの。

かつて出会ったネイティブアメリカンに
「男が頑張るとそれは金儲けか喧嘩にしかならない。母なる地球はやんちゃな男の子達の散らかしも、食いしん坊の食べ残しも、いつかは自分で片付けてくれると寛容に受け止めていたようだが、どうやらそうでないことに気づき始めている。今は腕まくりをして母は自分で大掃除をしようとしているところだ。そしてそれに合わせて女性の時代が来るので、その時は本当に賢く強い女性の後について行くがいい。男は女性に力を貸すだけでいいのだ。」
http://hopi-09.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-1a86.html

とのアドバイスを受けていた私は、このフォーラムがそのアドバイスの真偽を確かめる良い機会に思えたのだ。(当然素敵な女性への期待感も高まる。)

そんなわけで、下心も芽生えたところで足を運んだ会場は、農業者や新規就農を志す方々が研修の場としている農業大学校の「緑風館」で、館内の掲示物を一見しただけでもこれだけの研修コースがあるのかと驚かされた。

フォーラム会場は「新農業人ネットワーク」主催だけあって、若い方々、そして今回のテーマに相応しく女性の姿も数多く見受けられ(参加者83名!)大学の講義会場という懐かしい雰囲気に少しホッとさせられた。

さて、そのフォーラムの内容だが、農業における女性の力と可能性をテーマして語り尽くされた4時間半。農業ド素人の私にも十分に魅力的で刺激的な話ばかりだった。

まずは今回「個の尊重と夫婦二人四脚で築いた夢工房」と題した基調講演を行った栗田和則氏と栗田キエ夫妻の驚くべき暮らしぶりとその哲学、生活の知恵に圧倒された。

会場で手渡された資料を要約すると
「秋田県との境に近い山形県金山町の奥の奥、杉沢集落という山に囲まれた2.5キロ程の谷あいで自給自足を貫く。二人はそれを「自創自給」と呼ぶ。
米・野菜を自給、季節の野菜とキノコを宅配し、鶏もヤギも飼う。チーズやアイスクリーム、メープルシロップ、地ビールも手作り。築200年の家と手作りのログハウスは太陽光パネルと薪で暖をとり、孫と作った薪窯でピザも焼く。ハウスで作った質の高いたらの芽が当たりヨーロッパ、中国、アメリカにも足を伸ばし、ヨーロッパ人の暮らしぶりからヒントを得て都会人に山里暮らしを伝えるべくB&B(ベッド&ブレックファースト)の宿泊所を作ったところグリーンツーリズムの先駆けにもなる。」
となる。

私の耳には、お二人が代わる代わるマイクをやりとりしながら伝える暮らしぶりは農業の話しというよりはサバイバリストのそれとして響いたが、もしかしたら私たち日本人は最後の最後にはこの二人のように暮らすことを迫られるのではないかとふと思ったりした。その際そこに希望を見るためには「豊かさのとらえなおし」が必要だ。

“自分たちが豊かに暮らすために創造する。余ればそのときに売る”
“楽する楽しさはダメ。愉しむ。それは労働の達成感から”
“豊かさをお金で測ってはダメ”
“人間にとって大切なものは蓄積されていく。”

(農業に携わろうとする後輩達に対するアドバイスは私には原発事故後の全ての日本人に対するそれに聞こえた。)

そして夫婦のあり方として共感したのは、
「お互いを『〜さん』と呼び合うこと。それが対等の関係を維持する秘訣であり、個の尊重につながる。故に二人三脚ならず、二人四脚。二人いるのだから足はちゃんと4本でなくてはならない。」との主張。そうでなければ新たな豊かさなど創造できないと言わんばかりだ。(実は私たち夫婦もお互いを「〜さん」で呼び合っている。崇高な理由があるわけではないが。)                    
… NO2に続く

※曲はニールヤングの「ハーベスト」。“収穫”という名のラブソングです。

2011年12月14日 (水)

バカヤローは愛の言葉

             


上のYoutube、17分5秒じっくりと耳を傾けて欲しい。
インターネットと新聞・テレビなどのマスメディアとの乖離については以前このブログで取り上げたが、おそらくこのポエトリーリーディングもテレビでは取り上げないだろう。
日本は今、土壌も海洋もじわじわと放射能汚染が広がっていて、(下記参照)原発事故から9ヶ月経った今も深刻な事態が進行中であることに変わりはない。

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パソコンに不慣れな高齢者の方々にはテレビのお笑いでも見せておいて平穏を取り戻しているかのように装い、福島から遠隔の地方の方々には安全神話の拡大再生産と情報の隠蔽でとりあえずの足踏みを促す。

上記の画策で世代間格差と地域間格差でこの国はばらばらだが、本当はこのような時こそ皆が口ずさむ“歌”が必要なのだ。

だが、我が国の著名なメッセージ・シンガーもレコード会社にみな原子力マフィアの息がかかっているだけに「復興ソング」は歌えても「反原発ソング」は歌えないと見える。(原発建設に深く関わる東芝と抜き身で闘ったのは故・忌野清志郎のみである。故に彼は偉大だ。)

Flying Duthmanのポエトリーリーディング。打者が狙っているコースに敢えてストレートで剛球を投げ込むような見事な作品。これほど胸を熱くしたのは、その昔下北沢のロフトで開かれた「ビートジェネレーション88」と題された集まりでブルーハーツ(現クロマニョンズ)の真島昌利のそれを聞いたとき以来だ。


「経済優先」から「生命優先」に組織を、己を転換させるとき、私たちが最初に口にする言葉は「バカヤロー」かもしれない。

それは私たちの“未来”でもある子供達への愛の言葉である。


2011年12月11日 (日)

ふくしまけんきらいや

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明治の粉ミルクから放射性セシウムが検出された。製造側からの説明では粉ミルクを乾燥させる過程で使用した空気に放射能が混ざっていたとのことで原乳が汚染されていたわけではないらしい。

ただ今回のことが明るみに出たのは二本松の市民測定室が検出したからであって、自治体や政府機関が検出していればおそらく「基準値以下」の判断でうやむやされただろう。
(市民測定室は明治に対して2回対応を求めたが取り合ってもらえず、やむなく共同通信にこの件を持ち込んだとのことだ。)

だから明治以外の粉ミルクだってその他の乳製品だってその「うやむや」が含まれていると考えた方がいいだろう。

責められるべきは原発であり、ミルク業者も被害者なのだから、ここで明治乳業を責めるのはやめよう。だが・・・・である。

目の前に「経済」と「消費者の健康」更に突き詰めて「人命」を秤にかける場面が現れたとき、「人命」ではなく、「まずは経済優先」って場面が今この国のあらゆる現場で起ってはいないか。起り過ぎではないのか。

我が福島県も早くから食の「安全宣言」を出したものの、その後米からの放射能物質の検出が相次ぎ、知事が「安全宣言」が拙速であったことを認めた。県の場合は県内の生産者を救おうとの気持ちがあるからこその失策だが、もう少し方法はなかったのか?(安全が確認されている食材に関しては福島県内だけで循環させるなど。そのために県民に一致団結を呼びかけるなど。)

他の企業はどうか?薬害エイズや薬害肝炎の教訓は活かされているのか?

私は父をB型肝炎、母をC型肝炎で亡くしている。いずれも長きにわたる闘病生活の果てに力尽きたが、二人をそばで見ながら何度その原因を作った者達を呪ったことだろう。母は「昭和初期の医療体制では仕方がない。誰も恨んではいないし、恨んではいけない。これは運命なんだよ。」と何度も私に言い聞かせた。そして最後の最後まで楽天的に生きた。私はその明るさのおかげで支えられていたのは自分の方だったと感じているが、母がそのように生きることができたのは病気の原因を作った者を特定できなかったことと、それ故の葛藤を乗り越えたことによる「達観」があったからだと思う。それでも母は朝晩、そして気持ちが落ち込んだときには何度も神に祈った。(信仰のおかげかもしれない。)

だが、もし今回の原発事故でそれが原因と思われる病に近親者が倒れたとき、(我が子が苦しむ姿を目の当たりにしたとき)私は両親の時のように彼らを見守ることができるだろうか?
 
自分がその種の病を患ったときはどうか?

私には自信がない。それは原因を作った者たちの姿がハッキリしているからである。それは東電と原子力マフィアの面々である。さらに突き詰めればそれを許してきた私たちの生活様式でもある。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

私が今回の粉ミルクの件を聞いて真っ先に思い出したのは、絵本作家長谷川集平さんのデビュー作「はせがわくんきらいや」である。

この絵本のあとがきには次のような言葉が寄せられている。(以下抜粋)
「昭和30年、森永乳業徳島工場で製造されたドライミルクに含まれていたヒ素によって西日本中心に2万人以上(推定)の乳児が身体に異常をきたし、125人(昭和32年当時)の赤ちゃんが死亡しました。そして現在も政府の認定患者、未確認患者、数多くの人が苦しみそして亡くなっています。」

このあとがきと同じことが今後日本のあちらこちらで起らない事を祈る。
(一昨日の朝日新聞で、30ベクレル程度でも内部被曝であればチェルノブイリでは脳卒中や心筋梗塞で亡くなる人が増えているとの記事を読み、不安は募るばかりだが…。)

私がこの絵本を愛おしく思うのは、ここで“はせがわくん”をささえる少年が母の発症初期の時の自分とだぶるからであり、この後、深い友情(愛情)が発生する場面を容易に想像することができるからである。

福島県は“はせがわくん”になれるだろうか?そして日本人はここで描かれる少年になれるだろうか?

みなが原発事故を過去のものとし、食料汚染をうやむやにし、無関心を装うことが日常なっていくとしたらそれは無理だ。なぜなら「愛の反対は憎しみではなく無関心」(マザー・テレサ)なのだから。

昨夜、テレビで福島県民に対する厳しいコメントを紹介する番組を見た。

今はそれでいい。

そのやりとりの果てに福島の復興があることを心から願う。


2011年12月 8日 (木)

12月に斃れた二人の友人

             

この世から無くしてしまいたい日を1日だけあげろと言われた私はあげることができない。

なぜなら2日あるからだ。12月7日と12月8日。

粉ミルクに放射性物資が混入する時代。書きたいことは山ほどあるが、今日はやめにしよう。

もし二人なら何を考え、どう行動したのか?

今も ここに  訳詞 senri

もし 君をよく知ってると言ったら
なんて答えるんだろう
もし 君が 今 ここにいたなら・・・

ああ・・ 今 ここに・・・

君のことだから
きっと笑って言うだろう「僕らはまるで別の世界にいたのさ」ってね
もし 君が 今 ここにいたなら・・・
ああ・・ 今 ここに・・・

でも 僕はと言えば
いまでもよく覚えてる 昔のことを
涙を押し殺すなんてもうやめた
Ooh- Ooh- Ooh- 君が好きだよ Ooh-

僕らが出会った時は どうだったかな
君なら 僕らはただがむしゃらにプレイしてたっ言うだろう
何もわかっちゃいなかったけど
僕らはいつだって歌ってた

一緒に泣いた夜もあった
だって 隠しておく必要なんかなにもなかったから
たった一つの言葉さえわかりはしなかったけど
君はいつだって 微笑んでそこにいた

君に伝えたい 心から好きだったんだよと
僕の前に現れてくれてありがとうと

もし 君が 今 ここにいたなら・・・
Ooh- Ooh- Ooh-君はいつだって僕の歌の中にいた
ああ・・今も ここに・・・

2011年12月 5日 (月)

“脱福者”のつぶやき

            


http://www.thefuturetimes.jp/archive/no01/fukushima/

※映像は長井市のレインボープランを紹介したもの。
その下のURLは福島県からの声をまとめた電子新聞から。「いわき市在住夫40代、水戸避難中妻30代」は友人夫妻のもの。いわき市が抱える問題がよく見える。是非ご覧下さい。


原発事故の影響で地域内の作物が地域外の消費地で売れず「風評被害」に苦しむ我が故郷。
一方、生ゴミを有効な地域資源としてそこから堆肥を作り、地域内の循環型農業を実践する長井。

「生ゴミから堆肥」はできないとしても、いわき市もいっそ開き直って農作物を地域外には出さず、ND作物であれば地域内でのみ循環させることにしたらどうだろう? 

そのためには食品の検査体制を充実させる必要があるが…。

出荷側でも測り、販売側でも測り、消費する側でも測る。そこまでの体制を市民が一丸となって築き上げた上で、そのフィルターをクリアしたものを安心して食べる。

長井市の人たちが「健全な堆肥」を作るための「生ゴミ分別」に他の自治体住民にはない「ボランティア精神」を発揮していることを考えれば、ある程度の手間は覚悟しなければならないだろう。

(それが子供を守ることになるとなれば、それは「ボランティア精神」どころではなく、日々の戦いなのだから。)

だが、それを積み重ねていけば、いつか「むしろ、他県産のものより安心」という自信が市民の中に芽生え、それが徐々に地域外に伝わり、放射能汚染を乗り越えた本物の食材として「いわきブランド」が確立するはずだ。

もしそれができれば、「風評被害の払拭」以上のものをいわきは手にすることができる。

そんなことをふと考えた。

2011年12月 2日 (金)

本を読むのも仕事

レインボープランに対する理解を深めるのも重要な仕事。長井に来てから読んだ本はかなりの量になるがその中に「レインボーもの」が2冊あった。

http://www.amazon.co.jp/玉子と土といのちと-菅野-芳秀/dp/4883402509/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1322832559&sr=1-1

http://www.amazon.co.jp/台所と農業をつなぐ-レインボープラン推進協議会/dp/4883400999/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1322832738&sr=1-1

脱原発を叫ぶ声は数多くあれど、それを果たした後の社会のあるべき姿をイメージしている人は何人いるだろう?

発電方法をかえても人々の意識や生活が「大量生産・大量消費」に支配され続けたままならば結局「原発は必要」との結論にたどり着くに決まっている。

そういうのはもういい。もういいと思う人には是非手にとって欲しい。

レインボープランは以前紹介した中沢新一氏の「エネルゴロジー」と見事なまでに共鳴している。
http://www.amazon.co.jp/日本の大転換-集英社新書-中沢-新一/dp/4087206068/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1322834765&sr=8-1

そして何年も前からそのような活動を開始していたこの町に私は驚嘆している。


2011年12月 1日 (木)

初出勤、初出場!レインボープラン市民農場

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以前にこのブログで報告した、「レインボープラン市民農場」で今日から働き始めた。
初出勤というわけだが、農場だから初出“場”と言えるかも。

午前、長井市の農民史に残るであろうこのNPOの創始者の方々からのお話を頂き、その後早速作業となった。

大根の皮むき、菊畑の撤去などを行ったが、後には心地よい疲労感が残った。すぐに卯の花温泉につかり、夜は長井に来て覚えた「レタスのしゃぶしゃぶ」に家族みんなで舌鼓を打つ。

これだよ、これ。生きてる実感鷲掴み。

明日もがんばるぞ、

オー!!

※写真は大根に紐を通し干しているところ。これが冬の保存食「べろ大根」になるとのこと。

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