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2012年1月30日 (月)

闘う我らがキューピット「木田さん」のこと

             


5年前、学習塾の講師をしていた私はある日教え子の父親から電話で、「話しがある。」と言われた。

この方のお子さんを二人(上が男の子、下が女の子)私の塾でお預かりしたが、当時上のお子さんがその年の春に地元の進学校に合格し、年子で下の娘さんが中学3年生として受験勉強まっただ中だった。

当然私は進路に関する相談だと思い話しを聞いてみるとなんと私に縁談話しがあるというのだ。

地元の農家で安全なお野菜を作るのを信条としている方で、上のお子さんが中3生の頃、校内暴力で中学校が荒れると地元で「親父の会」なるものを作って校舎内をパトロールし、最後は学校から暴力沙汰を一掃するという“離れ業”をやってのけた方でもある。

話しによると自分の作ったお野菜を置いてもらっている洋食屋さんの娘さんだということで、「私が妻の次に素敵だと思っている女性で、村田先生にはもったいないが紹介する。」とのことだった。私は本音ともユーモアともとれるその話し振りにこれを無下にすることができず、その娘さんに会うことにしたのだった。

それが現在の妻である。

結婚披露宴でこの方の家族が代わる代わるスピーチしてくれたことがまるで昨日のことのようである。私はこの披露宴の後、闘病中の母を長井市の兄の家に預け、新婚初夜を長井駅前の和泉屋で過ごしたのだった。(何もしなかったけどね。)

さて、上の映像はその方、「木田さん」がいわきの農業の現状を語ったものである。作った野菜は放射能がNDであっても全く売れず、次々と皆が農業から離れて行く中、最後の最後まであきらめず、いわきの復興のシンボルとしてオリーブ栽培に全てを賭けているとのこと。

電話で話すと

「ノアに大陸の在処を教えたハトがくわえていたのはオリーブの葉だ。」とのことで声が弾んでいた。

私も負けてはいられないし、また何かの形でつながることを願った。

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コメント

おひさしぶりです。
木田さんのインタビュー拝見いたしました。

あの年代のオジサマ方はどうしてあんなに渋くて素敵なんでしょうか。
(私はあのお歳の素敵な男性を3人も知っています。)
そして、何だか意図せずいつも闘うことを強いられているというか・・・。

下平窪に比べたら雪も多く、毎日寒い仙台ですが、
私もオリーブを育てようという気持ちになっています。
(今まで数鉢のお花を枯らした私が言うのもなんですが・・・)

先日読んだ本に「一人一本の木を」
ということが書いてありました。

各家庭に子どもが生まれたら、庭に一本木を植える。
自分の庭がない場合、公的な場所を提供する、という
とっても素敵な提案でした。

いわきがオリーブの木でいっぱいになる様子を想像すると
とても元気が出てきます。

木田さんによろしくお伝えください。
応援しています、と。

とても勉強した世代だということ。そして団塊の世代の下で喘いでいたということがあるのかもしれません。でもだからこそ力を蓄えている世代なのかも知れませんね。

日本中でいいことをやろうとしている方々が沢山いるはずで、私はそういった方々とつながり、原発事故後の世界の在り方を1ミリでも変えてみたいと妄想しています。

その中にあなたも入っています。

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