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2012年4月

2012年4月29日 (日)

何でも屋

ブルース・スプリングスティーンの最新作は震災・原発事故後の日本にもピッタリとハマる。
それもそのはず。
アメリカ一般大衆と我々は共通の敵と戦っているのだから。

ここまで“怒り”に駆られたBossははじめて。


おまえの芝を刈ってやるよ
排水溝の落ち葉も取ってやる
屋根も直してやる、雨が漏らないように
神が与えてくれる仕事は何でもする
俺は何でも屋
ハニー、俺たちは何とかやっていける

釘うちはもちろん、宝石だってはめられる
作物の穫り入れもしてやるよ
豊かに実ったときには
エンジンを分解し
軽快に動き出すまで修理してやるよ
俺は何でも屋、俺たちは何とかやっていける

ハリケーンが吹き荒れ、土砂降りの雨
空が割れたかのよう
これからは世界が変わる気がする
みんな互いに支え合うようになるかもしれない
イエスが、そうしなさいと言ったように
俺は何でも屋、俺たちは何とかやっていける

銀行屋はぶくぶく太り
労働者はますます痩せる
前にも起った、これからもまた起る
奴らは確信してる、俺たちの犠牲の上に
俺は何でも屋
ダーリン、大丈夫、何とかやっていける

時には明日はやってくる
福と災い禍福あざなえる縄のごとく
旱魃に耐えたのだから、洪水にも耐えられる
新しい世界がやってくる、俺には光が見える
俺は何でも屋、大丈夫、何とかやっていける

あるものを使うんだ
やりくりすることを学ぶんだ
古いものを、新しくするんだ
もし俺に銃があったら、俺は
あの酷い奴らを見つけ出し、その場で撃つだろう
俺は何でも屋、大丈夫、
俺は何でも屋、何とかやっていける

                 対訳 三浦久

2012年4月22日 (日)

多様性こそが豊かさ〜さよならレボン・ヘルム

            

(ステキなブログ見つけました。歌詞対訳はこちらをご覧下さい。)
http://flowerlava.blogspot.jp/2012/01/night-they-drove-old-dixie-down-band.html

原発もTPPも結局はアメリカからの押し付けで、 その押し付けに“グローバリズム”という名前が張り付いていただけだった。

辞書によれば「グローバリズムglobalism」とは“国家を超えて、地球全体を一つの共同体とみる考え方”であり、地球規模であらゆる問題が起りつつある中、これ自体は決して間違った観点ではないと思う。ただしそれを強者と弱者をハッキリと色分けするような一つの価値観と経済的優位にある者たちに有利な統一言語の下で行おうとすることに無理があるのだ。

よくグローバリストと称される人々は「ジョン・レノンの“イマジン”のような世界」などと嘯くが、ジョンがイマジンを発表したのとほぼ同時期に、イギリスの圧政に苦しむアイルランドの側に立って「ラック・オブ・アイリッシュ」を歌っていることは知らないようだ。
http://blog.goo.ne.jp/beatle-lennon/e/d7a391b414f4683b856d8419365b0bec

Image私にとってのグローバリズムのイメージは上のものとは全く逆のもので、それは「棲み分け」ということであり、そのうえで皆が地球の中でひとつにまとまるというものである。その方が地域独自の伝統や文化を維持・継続しやすく、それぞれが活性化されれば地球全体が多様性に富んだ共同体になると思うからだ。多様性を獲得した生物のみが生き残るとの生物学的な定説は人間にも当てはまると思う。(私の中で長年定着しているこのイメージは、以前このブログで書いたネイティブ・アメリカン、ホピ族のシンボルマークに由来する。)

世界は一つの価値観で支配出来るほど単純なものではない。

私は今、宇沢弘文氏が指摘する「国家による社会的共通資本の管理」という考え方に注目している。社会的共通資本とは氏の言葉を借りるならば「一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、優れた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持する事を可能にするような自然環境や社会的装置」とのことで、国や地域がここをしっかりと管理しなければならないというものだ。(農業もこれにあたる。)
なんだか当たり前のことのように聞こえるかもしれないが、この装置すら市場原理主義の波にさらし競争社会に巻き込んでしまうのがTPPだ。だからこれだけはなんとしても阻止せねばならないと思うのだが…。

(私は反TPP論者の中野剛志氏の言う「国力」をこの社会的共通資本の豊かさのことだと理解している。)

話しは変わるが昨日、The Bandのドラマーでボーカリストのレボン・ヘルムが死んだ。The Bandはアメリカン・ロックバンドとして私が最も影響を受けたグループの一つだが、思えば彼らの魅力はアメリカ各地の多様な音楽を吸収し、それを彼らなりの解釈で見事なまでのロック・ミュージックとして昇華させていた点にあったように思う。多様性こそが豊かさであることを音楽を通じて教えてくれたのがThe Bandだった。

10代の頃The Bandの豊饒な音楽に耳を傾けるとき、アメリカ各地の多様性に富んだ風土の下に暮らす人々の姿に思いを馳せたものである。

豊かさを経済だけで論じてはならない。


2012年4月17日 (火)

目くらまし

                

  

原発再稼働問題も、北朝鮮問題も実は目くらまし。
政府が今騒がれたくないのはTPPの方だ。

騙されちゃだめ。

そうならないためにも下のURLをクリックしよう。

http://stoptppaction.blogspot.jp/

http://antitpp.at.webry.info/


2012年4月12日 (木)

とらわれの貧しい心で

     


数日前の朝日新聞に私の故郷福島県いわき市の方によって書かれた
“原発に働く人で賑わへるまぶしき夜の街はまぼろし”なる短歌を見て胸が痛んだ。

今後もし原発を再稼働することになれば、近い将来、故郷どころか国全体が“まぼろし”ということになってしまうのかもしれない。

優れた詩人は未来を透視する力を持つと言われるが、1976年(38年前!)にファーストアルバムのラストナンバーとしてこの曲を歌った彼はまさに優れた詩人だと言わざるを得ない。(それを喜ぶべき時勢ではないが…。)

怪しげな顔したイカサマ師達=野田“どじょう”政権にこの曲を捧ぐ。


2012年4月 5日 (木)

グリーンアクティヴ〜可視化する緑の意識

            

原発事故直後、兄の経営する宴会場の70畳の部屋で避難生活を送りながら、事務所の兄パソコンを借りて情報を得ようと躍起になっている時、私は事故後の国の対応として最も的確な事を述べているであろう文章に出くわした。あの時点でそのように思い、現時点でも有効であると思う意見は内田樹のそれである。(氏のブログのアーカイブから2011年3月に書かれた記事が読めるので是非がんばって読んで欲しい。3月3日のもを除いて全て震災&原発事故に関連したものである。)

http://blog.tatsuru.com/2011/03/

東電や国がパニックに陥り「隠蔽」の二文字しか頭になかったあの時、これ程冷静に正論を語れる人間がまだ日本にいることを正に「不幸中の幸い」と思ったものだ。

Tumblr_lz6pqo2wuj1roeliyo1_r1_1280その内田に“アースダイバー”中沢新一が呼びかけ、脱原発を掲げた“緑の党のような”新しい組織を立ち上げた。

http://greenactive.org/index.html

グリーンアクティヴのホームページの中で、かつてネイティブの思想に心酔し、現在農民中の私の目に留まったのは以下の文章である。
(以下グリーンアクティヴのホームページから中沢新一のコメントを抜粋)

“緑の運動は、まさに大地とのつながりを失わない人間たちが、グローバル化していく資本主義に対抗する運動なのだと思います。そうすると、緑の運動は地域とそこに生まれてきた地域主義から出発する運動となっていきます。その地域主義には人類としての普遍性があって、それによってプロレタリアと逆方向の普遍性を目指していくことになるのです。
 僕はよく人類という言い方をするんですが、たとえばオーストラリアの先住民がオーストラリアの大地で自然とわたり合いながら相互関係を作り上げていった文化と、日本列島という、別の条件をもった土地に流れ着いた人たちが自然環境との相互作用のなかで作り上げた文化はそれぞれ違います。違うけれど、そこには共通性もあります。それは、人間と自然のあいだに一つの回路が作ってあって、自然を人間から切り離したり、ただの資源に作り替えたりしない考え方です。この点が普遍的なのだと思います。それは必ず土地と結びつくわけで、緑の場合は普遍的な運動が地域から出発するしかない。”

この組織が右だの左だのイデオロギーに囚われないのがいい。(記者会見でのやり取りからそれが垣間見える。加藤登紀子、鈴木邦男が良い。)大手のマスコミでは取り上げられていないようなので私がここで取り上げる。大きなうねりになる事を願う。

2012年4月 1日 (日)

四月馬鹿

きょうはエイプリル・フール。
でも昨年からこの日は自分の中で逆の意味を持つ事になった。
昨年20年以上勤めた会社を辞め失業者になった日。
何よりも自分に嘘がつけなかった。
何事もなかったかのように生きて行くことができなかった。
自分にはそれができないと知っていたから。
四月馬鹿とは私の事だ。
でもそれでいいと思っている。

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