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2012年4月 5日 (木)

グリーンアクティヴ〜可視化する緑の意識

            

原発事故直後、兄の経営する宴会場の70畳の部屋で避難生活を送りながら、事務所の兄パソコンを借りて情報を得ようと躍起になっている時、私は事故後の国の対応として最も的確な事を述べているであろう文章に出くわした。あの時点でそのように思い、現時点でも有効であると思う意見は内田樹のそれである。(氏のブログのアーカイブから2011年3月に書かれた記事が読めるので是非がんばって読んで欲しい。3月3日のもを除いて全て震災&原発事故に関連したものである。)

http://blog.tatsuru.com/2011/03/

東電や国がパニックに陥り「隠蔽」の二文字しか頭になかったあの時、これ程冷静に正論を語れる人間がまだ日本にいることを正に「不幸中の幸い」と思ったものだ。

Tumblr_lz6pqo2wuj1roeliyo1_r1_1280その内田に“アースダイバー”中沢新一が呼びかけ、脱原発を掲げた“緑の党のような”新しい組織を立ち上げた。

http://greenactive.org/index.html

グリーンアクティヴのホームページの中で、かつてネイティブの思想に心酔し、現在農民中の私の目に留まったのは以下の文章である。
(以下グリーンアクティヴのホームページから中沢新一のコメントを抜粋)

“緑の運動は、まさに大地とのつながりを失わない人間たちが、グローバル化していく資本主義に対抗する運動なのだと思います。そうすると、緑の運動は地域とそこに生まれてきた地域主義から出発する運動となっていきます。その地域主義には人類としての普遍性があって、それによってプロレタリアと逆方向の普遍性を目指していくことになるのです。
 僕はよく人類という言い方をするんですが、たとえばオーストラリアの先住民がオーストラリアの大地で自然とわたり合いながら相互関係を作り上げていった文化と、日本列島という、別の条件をもった土地に流れ着いた人たちが自然環境との相互作用のなかで作り上げた文化はそれぞれ違います。違うけれど、そこには共通性もあります。それは、人間と自然のあいだに一つの回路が作ってあって、自然を人間から切り離したり、ただの資源に作り替えたりしない考え方です。この点が普遍的なのだと思います。それは必ず土地と結びつくわけで、緑の場合は普遍的な運動が地域から出発するしかない。”

この組織が右だの左だのイデオロギーに囚われないのがいい。(記者会見でのやり取りからそれが垣間見える。加藤登紀子、鈴木邦男が良い。)大手のマスコミでは取り上げられていないようなので私がここで取り上げる。大きなうねりになる事を願う。

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