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2012年5月

2012年5月29日 (火)

世界の終わりに

    


先日農作業を終えた後で福島県から避難して来た方々雇用促進住宅の集会場で飲んだ。
だいぶつながりが出来てきて、みんないい感じになってきた。
誰かの子供を誰かかが面倒を見る。昔の日本人なら当たり前の風景を私より年下の皆さんがこれも当たり前に展開している。きっとDNAのスイッチがONになったんだろうな。

宴の終わりにこの1年を長井で過ごした感想に加えて「4号機が倒壊したらどうするのか?」という私からの質問に皆に答えてもらった。

皆が「逃げる!」というから、私は「それなら、その時が来たらここで皆で何処へ逃げるのか話し合って、皆で同じ所に逃げよう。このメンバーなら無敵だから。」と言うと、皆が笑った。

それだけのことだが、なぜか嬉しかった。

2012年5月23日 (水)

原発に反対するなら、なぜあなたは収束作業に向かわないのか?

            


震災直後、壊滅した海岸線の町を消防団の一員として救助活動にあたり、その後は原発の収束作業に立ち向かう。

妻の友人の旦那さんは正にそのような人で、今日そのご夫婦が長井の私たち家族を訪ねて来た。私たちは兄が経営する居酒屋で共に酒を片手に話し込んだが、その全てをここに記すことはできない。ただ、6日働いて3日休み、ひとたび防護服を着て働きに出れば、食事は1日に1食、トイレに行く暇もないので防護服の下に介護用のおむつをして作業にあたる者もいるという。このような働き方をしなければ原発は現状を維持出来ないのだ。

多くを語るタイプの人ではないが、屈強な肉体が厳しい現実を跳ね返そうとする意志が溢れており、そのような人を前に何を話していいかわからなくなる瞬間が何度もあった。

私が彼と話しながら確信したこと。それは福島は日本に支えられているのではなく、福島が日本を支えているのだということ。反原発や瓦礫受け入れ拒否の活動も彼らの過酷な働きの上に成り立っているのだ。

「原発に反対するなら、なぜあなたは収束作業に向かわないのか? 反原発はまずそこからではないのか?」彼からこのように問われたらどのように答えようかとずっとそのことを考えていた。

彼にも私同様、妻と幼い娘と息子がいる。

2012年5月19日 (土)

鍬を担いだ青い瞳のサムライ

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http://www.amazon.co.jp/「年収6割でも週休4日」という生き方-ビル-トッテン/dp/4093878749/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1337398769&sr=1-2

私は現在山形県長井市のレインボープラン市民農場でお世話になって農作業に従事している。それを知ると多くの方は、私が原発事故が原因の避難生活の果てにやむなくこの仕事に落ち着いたと思うようだが、それは違う。

私は3.11前からその後の生活のキーワードが「農業」であると考えていた。

私は3.11前は地元いわきを中心に展開する地方塾の一講師であり、いたずらに20年以上を一つの企業で過ごしたという理由だけで中間管理職の立場で会社の経営にも少なからず参画していた。そして例外なく不況の波にもまれる中で会社の在り方や国の在り方、自分の将来について思いを巡らせるようになったのだ。

私はシンプルな思考回路しかもたず、国の制度や法律というものに関しては全くの無知なのだが、考えていたのは
① なぜ食料自給率が低いといわれる国の中に多くの失業者がいるのか?
② 企業はお金以外に社員に還元できるものはないのか?
③ いつまで成長し続ければいいのか?
などなどで、そんな中で手にしたのがビル・トッテン氏が書いた上の本。

古きよき日本の経営者たち(松下幸之助、本田宗一郎、盛田昭夫、土光敏夫など)を崇拝する彼の言葉と現在の財界の人間達の発言を比べるとどちらが日本人かわからなくなる。(ビル氏はすでに日本に帰化した日本人であるが。)

規模の拡大にしか関心がない現代の企業経営者に対してビル氏が提案する企業の姿(“新聞の全面広告より、営業3人の働きに期待する”“終身雇用制度の採用”“一度辞めた社員でも、いつでも受け入れる”“部下にノルマを課さない”など)は対照的で刺激的であるが、ビル曰くこれらはみな日本のいにしえの経営者達から学んだことだという。

そしてそんな彼が社員に提供できることとして挙げているのが
「社員とその家族が消費中毒から抜け出すのを手助けすること」であり、その手助けのひとつが「社内農業プロジェクト」なのだ。

3.11前に書かれたものとはいえ、示唆に富んだこの本を多くの人に読んで欲しい。原発事故で避難生活を余儀なくされた者でなくても、生活を見直す機会になると思うのだが。

2012年5月11日 (金)

復興とは“関係”の創造

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既に破綻しているグローバリズムに変わる価値観としてFace bookでローカリズムが話題となり、その事を義父に話すと「それじゃあ、この本を読みなさい。」と手渡されたのが「内山節のローカリズム原論〜新しい共同体をデザインする」だ。

原発事故後、自然エネルギーで電力が足りるのかどうかという議論が尽きないが、私には「自然エネルギーでアメリカ発のグローバリズムが実現出来るかどうか?」といふうに聞こえてアホらしい。自然エネルギーはそれに相応しい価値観やその価値観に基づいた社会作りとセットで語られるべきものだと思う。そして現時点で私はそれを「ローカリズム=地域主義」だと考えているが、政界や経済界、大手メディアでそれを検討するような動きは一切ない。ローカリズムとは自分たちの社会や生活を「等身大に引き戻す」ことだから右肩上がりの経済成長という幻想を追い続ける彼らには“論外”なのだろう。

義父から与えられた本は今の私にとって参考になるもので、とても示唆に富んだものだった。特に私の中に引っかかった言葉は以下のようなものだ。

・コミュニティの力は外の世界と結んでこそ力がでる

・群馬県上野村の人口は1400人くらいだが、村の応援団は村の人口より多い

・日本の社会やコミュニティは自然と人間によって構成されている

・原発を成立させている構造自体を変えなければいけない

・復興の主体は地域であり、コミュニティ、共同体なのです。さらに述べれば、それらを成立させている関係自体が主体なのです。なぜなら関係に突き動かされながら関係を創造するという営みの中に復興は存在しているからです。

お〜最後のラインなどは私が関わっている「『絆』循環プロジェクト」そのものではないか。

震災・原発事故後の新しい価値観は東北から生まれる。

高い代償を払ったが無駄にはしない。

2012年5月 7日 (月)

サクセスよりもハッピー

           

FacebookでアメリカのBossことブルース・スプリングスティーンを取り上げたばかりだが、日本のBossといえばこの人。

私は中学2年のとき彼に説教された事がある。正確には演奏や歌よりも説教の方が長かったという彼のコンサートを見たという事なのだが(演奏を中断し暴走族の大騒ぎを永ちゃんが一喝!その後は大説教大会!!)スプリングスティーンの初来日コンサートに並び生涯忘れ得ぬ体験となった。

私はこのブログを通して再三、復興は復元ではなく転換であり、それは経済よりも生命優先の社会作りと唱えて来たが、永ちゃん流に言わせればそれは「サクセスよりもハッピー」といことかもしれない。

今日、フランスで新自由主義者のサルコジが政界から退場するとのニュースに触れたが、この次は日本の番だろう。

日本のそして世界の政財界に巣食う市場原理主義者に送る矢沢永吉。奴らに歌はもったいない。説教だ。

2012年5月 1日 (火)

若葉のころ

    


一昨日の夜、NHKで「世界から見た福島原発事故」を見た。

その中であるドイツ人男性が「チェルノブイリの時、父親達は何も変えなかった。そしてその後も原発は増えた。今回フクシマの事故があり、子供達から『お父さん達はそのとき何を変えたのか』と問われたら答えられるようにしたい。」と話していた。(確かこんな内容だったように思う…。)

番組では、アメリカ、スイス、ドイツを取り上げ、安全性を強化する国や脱原発を決定した国などそれぞれの対応について紹介していたが、「我が国は? 私たちは? 私は?」との気持ちに駆られた。

私たち家族の生活は昨年の3.11以降それまでとは全く違うものとなったが、それは義曾祖父、義父母、妻(そして愛犬!)が子供の安全を最優先させるという私の意見に賛同してくれたことの上に成り立っているものであり、そうしてくれたことに私は心から感謝している。

国は過小評価という誤った方法で国民を安心させようとしているが、私は今回の事故は事故直後からチェルノブイリ以上の事故と認識している。つい先頃チェルノブイリで溶け落ちた核物質を取り除くのに今後100年かかるとの報道があったが、チェルノブイリより複雑かつ破壊数を上回るフクシマは300〜400年以上かかるだろう。30〜40年なんて絶対に嘘だ。(どちらにして私はその収束をこの目で見る事はないだろう。)
まして事故はまだ継続中であり、私たちの現在の生活は紙一重の状態で保たれているにすぎない。

私たちは子供たちに巨大な負の遺産を背負わせながら、何をしようというのだろうか?

よく一人前の大人になる事を「自分で食べていける人間」などという言い方をするが、これからは「安全な食べものを作れる人間」と言い方を変えたらどうだろう? 
そうした場合私たちの国に一人前の大人は何人いるのだろう?

私はそこをそのように変えることを、子供達の希望の担保としたいと考えている。

今日から五月。長井の町は花と新緑でいっぱいだ。この季節を迎える度に胸をときめかせて生きていけるようなそんな世界を子供達に残したい。

自然の美しさに触れる度、真剣にそんなことを思うようになった。

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