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2013年1月 7日 (月)

「ならぬこと」が今日もまかり通る

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昨年末に福島県は現在避難者を受け入れている各自治体に対して今後福島県からの新規避難者の受け入れを停止するよう要請を出し、これにより県内で不安を抱えながら生活している福島県民が県外に避難しても「災害救助法」に基づく借り上げ住宅制度が受けられない事となった。

その一方で、環境省は原発事故で生じた高濃度放射性廃棄物を焼却する実験的施設の建設を福島県鮫川村で始めた。各地で処分が滞っている汚染稲わらや牧草の処理モデルを目指すという。ところが村は建設予定地の住所さえ公開せず、近隣住民から「恒久的な施設になるのでは」と不安の声が上がっている。(太文字引用)

(ちなみに鮫川は私の故郷であるいわき市にとって「生命の水」の源であり、環境省がその水道水源地に焼却施設建設を始めていることで、いわき市民からも反対の声が上がっている。)

上記した二つの事実だけでも、国と福島県は県民に対して被曝する可能性・危険性を知らせず、県内に踏みとどまらせる「被曝の強制=ジェノサイド政策」を押しつけ、それが現在も施行中ということになる。

(原発事故後SPEEDIの情報が公開されなかった事で、私の国や県に対する不信は決定的になっており、このようにしか受けとめられないのだ。)

これだけでそう言いきってしまうのは危険だし、勿論、福島県の復興を押し進めるべく、県内に留まって力を尽くしている同胞の方々の活動に水を差すつもりはない。

だが、上記した考えが私の中にあるように、避難形態の違いや汚染濃度の違いによる意識の格差、年代的な考え方の違い、ネット利用者とそうでない者が得ている情報の違いなど、あらゆる立場とあらゆる考え方が発生している福島県内において(本当は日本全体がそうなのだが)、それぞれの現場で非人道的な政策や決定があって、それに対する憤りが沈殿しているようなのだ。

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昨夜大河ドラマ「八重の桜」を見た。もともと別のドラマが決定していたにもかかわらず、震災&原発事故を受け「復興」の意味合いを持たせるという理由で急遽内容を変更して、福島県を舞台にしたといういわくつきの大河ドラマだ。

事故後、早い時期にこの発表があったときは心底いやな気分になったことを覚えている。そしてその時の気分はまだ私の中にはある。確かにある。

会津が舞台となればキーワードは「ならぬことはならぬ」であることは容易に想像がついたし、実際第一話のタイトルはまさにそれであった。

藤原正彦氏が「国家の品格」のなかで「ならぬことはならぬ」を取り上げたのは、「子どもを育成する際、理屈だけで対処しようとしてはならない。理屈があろうがなかろうが『ダメなものはダメ』という姿勢が大人には必要だ。その点で会津藩の什の掟は優れている」というものだったと記憶している。(私も自分があずかっていた校舎で各教室にこの教えを掲示いていた。)

原発とTPPこそ「ならぬこと=ダメなものはダメ」に他ならず、その他にも上記したような非人道的な政策がまかり通る(通りまくりの)この国で「什の掟」をキーワードにしたドラマなどどうして成り立つというのだろうか? 

かつてハリウッドの西部劇がインディアンを「ジェノサイド」するためのプロパガンダ映画だったことは良く知られていることだが、そのような180°真実と異なる映画の中にも一つだけ真実があった。それは
「インディアン嘘つかない!」
という台詞である。

私は「ならぬことはならぬ」がそれと同じ運命を辿らない事を祈っている。

(綾瀬はるかちゃんをおかしなプロパガンダに利用したらただじゃおかない!!)

「ならぬことはならぬ」のである。


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