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2013年4月 3日 (水)

私たちが見たもの〜長谷川集平の“およぐひと”〜

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3月はこのブログには一切触れることが出来なかった。

3月11日に私たちが栽培した酒米で作られた純米吟醸酒「甦る」とその酒粕で作った吟醸饅頭「甦る」、フィナンシェ&ドーナッツ「ほの香」の発売があり、その前後で多くのメディアから取材を受けた。

もちろんその間も雪中キャベツの収穫や春に向けて播種作業もあり、本当はその時々でブログに記さなければならないことがあると感じながらも更新が今になってしまった。

そんな中で私たちの米を醸した鈴木酒造長井蔵の鈴木大介さんと共に取材を受けることが数回あり、彼と接する中で彼の口から出た言葉は私の中に強烈な印象を残しているのでここに記したい。

彼は福島県浪江町の出身であり、浪江町請戸地区で200年続く伝統ある酒蔵を継ぐ専務取締役であり杜氏である。浪江といえば3.11の震災&原発事故の影響で21000人の全町民が今も全国に避難しているという町である。そして日本一海に近いことで知られる彼の酒蔵があった請戸地区は津波で壊滅状態に陥り、彼も酒蔵を失った。

これだけでも充分に悲劇であるはずだが、この請戸地区の悲劇はそれだけにとどまらない。このエリアには3.11直後、多くの人たちが動けなくなって孤立していたにもかかわらず福島第一原発から10〜20キロ圏内というだけで救助が来ることなく、溺死ではなく衰弱死や餓死者を出すことになるのだ。

スピィーディーで情報を得ていたにも関わらず政府が同心円状に避難区域を指定したことにより起きた惨劇である。

(今もってこの責任が追求されないことには強い憤りを感じる。)

震災発生時、消防団の一員として救助活動にあたった彼は何人かが波に飲まれて行くのを見たという。靴だけが浮かんできたのだと。

そして震災後しばらくして遺体の捜索活動に参加し、顔見知りの遺体の腐乱臭を嗅いだ際、酒造りを続けることを決意したのだという。尊厳も何もなく命を落とした人たちが確かにここに生きていたという事実がやがてなくなり、浪江のこともそこで生活していた人たちも忘れ去られてしまうのなら、自分が浪江の方々に愛された酒を造り続けることによってそれを食い止めることができると考えたのだ。

山形県長井市に酒蔵を移してからの鈴木酒造の、磐城壽の再起の物語についてはここでは触れない。

ただ私はそのような壮絶な体験を経てもなお自分の出来ることを通して大手メディアでは伝えられない真実を伝え続けようとしている男が身近にいることを伝えたいだけだ。

現在ではもう真実はテレビのお笑い番組にかき消されてしまったかのように見える。

嘘、嘘、嘘の大洪水にまたしても私たちはのみ込まれたままだ。

私は彼と造る純米吟醸酒「甦る」が真実が明かされるときいつもそれを語る人のそばにあってくれれば良いと思う。

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本日届けられた長谷川集平の最新作「およぐひと」http://www.cojicoji.com/shuhei/wsnew.htmlの中で娘が父親に聞く。

「テレビやしんぶんはみたけどさ、あれがすべて?パパがみたのもあれとおなじ?あれだけだったの?」

私たち福島県人は、そして本当はあの日を経験したすべての大人がこの質問に答えなければならないと思う。


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コメント

福島県から関西に母子避難中の母です。
当時ゼロ歳と3歳の子どもを連れて区域外避難を敢行してGWが来ると丸2年になります。
子どもたちは2歳と5歳になりました。

およぐひと・・・私のことが書いてある。
私たちのことが載っている。。。
しかも絵本に。

2歳児は父親がいるのに父親を知らずに育っています。
5歳の子は、最近、父親が会いに来て、また仕事のために福島にもどるとき、
寂しくて悲しくて号泣します。逃げてきた当初は父親と離れて暮らす意味すら理解していなかったのに・・・。

わたしたちのことが書かれている。
この絵本を子どもたちに読み聞かせたら、
今のまだ続く「非日常」を、
子どもたちなりに少しは理解してくれるかな・・・。

私も同感です。
福島県民として、あの日、あの時、福島で何があったのか、
事実を伝える使命と責任がある気がしています。

「にげるひと」さん、コメントありがとうございます。
私が現在避難先として住んでいる雇用促進住宅にも同じように福島から避難して来た方々がおります。
その方たちと昨年から野菜作りを始め交流が生まれました。
我が家とは異なり母子避難のご家庭が多く、若いお母さん方が幼いお子さんを抱えての生活で、私の娘(5歳)と息子(3歳)とその方々のお子さん達も今では皆友達です。

先日朝早く畑の見回りに出かけようと、住宅の駐車場に足を運ぶと、娘と仲良しで南相馬市から避難して来たHちゃんがお母さんに抱きかかえられながら4階の窓の手すり越しに駐車場を見下ろして号泣している姿が目に留まりました。Hちゃんの目線の先には車に乗って南相馬に帰ろうとするお父さんの姿がありました。Hちゃんは一つ年上の私の娘が見習わなければならないぐらいとてもしっかりしていて、そのうえ明るい子ですから、泣きじゃくる姿には胸が痛みました。

本当はなくても良い場面であり、考えなくても良かったはずのことで多くのお母さん方が葛藤しています。

私は事故後それまでの職を捨て家族7人と犬1匹を連れて避難し、そのまま避難先の長井市に住み着いてしまいましたが、皆にそうしろと押し付けることはできません。ただ子を持つ親子さんに、避難者なら避難者として、とどまるのならとどまる者として、「何故、ここにいるのか?」を子供に話してあげて欲しいと思っています。

何もなかったかのような顔の「見て見ぬふり」で原発に依存していた社会の「復元」は出来ても、原発に依存しない社会への「転換」は果たせないと考えるからです。

長谷川さんの絵本「およぐひと」にはあの日の私たちのことが描かれていると同時に私たちの現在も描かれているように感じています。私の勝手な解釈では赤が放射能を表現しており、父と娘が語り合う場面も少しずつ赤が忍び寄ってくる…。「およぐひと」「にげるひと」そして「そのどちらでもない多くのひと」にとっても原発事故が無縁ではないことを表現しているようで恐ろしくなります。

凄い絵本です。

勝手なことを書きましたが、最後に長谷川さんの作品で「デビルズ・ドリーム」も是非読んでみて下さい。長谷川さんから勇気をもらえます。

返答が遅くなり申し訳ありませんでした。自分のブログ、よく見るように致します。


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