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2013年8月 1日 (木)

何処まで愛を失えば世界は光に気づくのか?

             


以前このブログで「東洋のアルカデイア」と呼ばれる置賜の地で暮らす想いを綴った事がある。
http://hopi-09.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-6ada.html

私はその中で「自然感受性を高める」ことで原子力エネルギーの恩恵に預かる私たちの生活様式を転換出来るのではないかと記しているし、現在もその気持ちに変わりはない。

しかし、現在の世の中の動きはそれを記した時と比べれば好転しているどころが、ますますシビアな状況へと突入しており、原発事故に関してはその深刻さと反比例して世間の関心はますます薄れているように思う。

原発事故後の国政選挙では衆参共に自公圧勝、その方針は「原発再稼働」「TPP推進」「憲法改悪」で、これ程の悪行を国の政策として大手を振って推進できるようになった世の中に自分が生きているということが信じられない。個人的にはまさに「絶望的」な状況なのだ。

大体子供でもそれが「良くない」とわかる事をどうして大人がわからないのだろう。

しがらみや経済にばかり気をとられ、自分の頭で考える事が出来なくなっているのではないか?
(自分の頭で考えない方が実は「楽」だから仕方ないが、そのような人間を「奴隷」と呼ぶのだ。)


TPPが推進されるとどこまで実現出来るのかはわからないが、私はグローバリズムよりローカリズムにより可能性を感じており、できれば独立国でも作りたいぐらいの心境だ。

置賜で酒米を作り酒を醸す。この活動を起爆剤に置賜に自給圏を創造する。

またしても私は夢を見ているのだろうか?

まぁいいや、ここは東洋のアルカディアだ。私は「ハーロック」には慣れないが「ヤッタラン」ぐらいならがんばればなれるかもしれない。

でも一度だけかっこつけで言わせて欲しい。

「己を縛るものと闘え!」

「世界を変えたければ、この艦に乗れ。我がアルカディア号に!」

あー、スッキリした…

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