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2014年5月23日 (金)

正気を取り戻すためのテキスト〜長谷川集平の“アイタイ”〜

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被曝後を生きる僕たちに届けられたラブレター。
今年3月11日に発売された長谷川集平さんの絵本「アイタイ」をずっと手元に置いて読んでいる。
過去の経験からロックアルバムの名作ほど第一印象が不可解であったように、この絵本は僕にとってのまさにそれで、久しぶりに与えられたその感覚に「もの凄いものを手にした」と直感した。

普遍的な作品ほど多くの見方や感じ方があると言われるが、原発や放射能に対する不安ゆえ福島から山形県長井市に移住した僕にとって「大きな勘違い」と笑われることを承知したうえで、この作品には「自分のことが描かれている」と感じている。

読後しばらくしてツイッター上に以下のようなコメントを載せた。

アイタイが届いてからいろんな思いを巡らせながら読んでいます。特に事故後分断された私たちのことを考えています。私がアイタイのは誰か?生命を優先する社会に出会いたいと思いますし、ちいさな生命をも気にかけることで正気を取り戻す自分とも出会いたいと思います。

原発事故以来、僕らは多くの問題で分断されてしまったけれど、その原因の糸をたどっていくといつも最後には「経済を優先するのか。それとも生命を優先するのか」という問いに出くわすことになる。そして本当はそれは国や福島県やコミュニティーよりも先に個人に対して突きつけられているはずで、経済を優先する個の数が多いからこそ、その集合体としての国や自治体は経済を優先しているにすぎない。

僕とて避難したからといって経済から無縁ではいられないし、家族=生命を守るための経済ではないのかと問われればそれを頭から否定することなどできない。

でも、経済活動を続ける中でまれに経済と生命をはかりにかけるような場面に遭遇したとき、迷わず生命を優先する自分でいたいと思うのだ。人命の前では経済活動という、行き過ぎれば「狂気」にもなりかねないものから距離を置き「正気」を取り戻さねばならないのではないか。過去の公害問題も薬害問題も元々は日常の中に潜む悪を個人が見逃したことに起因しているのではないか。

絵本の中の少年は事故後それまでいた場所から離脱してしまった僕で、狂気を孕んでいるように見える少女こそがまさに僕がそれまでいた「場所=3.11以前の世界」のことではないのか?マイノリティーで虫けらのように小さな生命(僕?)に触れ少女が正気を取り戻す…。

これは僕の妄想であり願望だ。でも生命を優先する自分に出会いたいと思うし、ちいさな生命をも気にかけることで正気を取り戻す社会とも出会いたい。

だって原発事故後の僕らは常に経済と生命をはかりにかけているのだから。

先日大飯原発運転差止の判決が下った。
http://www.news-pj.net/diary/1001

以下一部抜粋

たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。

また、被告は、原子力発電所の稼動がCO2排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである。

少女が一瞬正気を取り戻したように見えたのは僕だけだろうか?

「アイタイ」は僕にとって市場原理主義という名の狂気から正気を取り戻すためのテキストだ。

被曝後の世界を生きる僕らにとって必読•必携の一冊。

集平さん、ありがとう。


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