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2014年12月 7日 (日)

「ケ•サラ」を

       

既にFBでは紹介したが、最近目にした文章の中でとても腑に落ちるものがあった。
http://kazetabi.weblogs.jp/blog/2014/11/post-adae.html

その中から自分の中でヒットしたものをいくつか紹介したい。

「国民の支持を得た政策が素晴らしいのではなく、深刻なことは考えたくない国民の糠喜びを誘いながら、後になって引き返せないような道へと深入りしていくことが恐い。」

「もはや、経済成長がなくても豊かさを実感できる社会の構築、生き方の変化を目指すしかないと思う。賑やかで絢爛たる状況が楽しいとは限らず、静かで穏やかで、しみじみと感じられる楽しさがある。有名だけれど人の群がる観光地よりも、無名だけど落ち着いて過ごせる場所の方が気分転換になる。」

「闇というのは、字のとおり、門の下で音を待っている状態。つまり、何か新しい兆しの”おとづれ”を待っている。明るく照らし出して賑やかな音がいっぱいだと、その気配をとらえることができない。明るければ明るいほど物がよく見えるというのは錯覚で、どうでもいいものもいっぱい見えすぎて肝心なものが見えない。闇のなか、耳を澄ませることで初めて気付く大事なことがある。」

「牢獄を脱け出したいから、人は明るいところに行きたがるのだけれど、現代人は、白々と明るい牢獄で空虚に時間を費やしているのだ。牢獄から脱け出すためには、暗いトンネルを抜けることが不可欠。3.11の震災後、街の灯りが少し暗くなって、暗いトンネルの中に入ったかなと思っていたら、いつの間にか明るいところに出てしまった。前に進んで脱け出したのではなく、強引に来た道を戻って、元の白々と明るい牢獄に戻らせたのがアベノミクスだと私は思っている。」

「はっきりとさせなければ物事を進めることができないと主張するのは、臆病者。先行きが不透明でも、手探りしながら前に進むことはできる。ゴールが見えなくても、勇気のある者は、足を踏み出すことはできる。人はいつか死ぬけれど、死んだらおしまいなのではなく、死んだ後のことが、人間の認識ではとらえられないだけ。」

僕がこの文章を読んで最初に思い浮かんだのは昨年大ヒットした朝ドラ「あまちゃん」の最終回で二人の少女がトンネルの中のレールの上を歩いていく場面。

原発事故後の避難生活も人から見れば暗闇の中であることは間違いないのだろうが、僕の場合勇気に支えられてというより、今となっては好奇心にかられてという感じに近い。

ちなみに本来イタリアのカンツォーネだった「ケ•サラ」はよく言われているところのお気楽な「なんとかなるさ」ではなく「どうなるんだろう」が本当のニュアンスだとのこと。

そのような意味でリクオの名演で「ケ•サラ」を。

不確定な時代を行く感じが良い。


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