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2015年4月12日 (日)

握りこぶしと握手はできない

         

「ジョン・F・ケネディはなぜ死んだのか~語り得ないものとの闘い」(ジェイムス・W・ダグラス著 寺地五一・正子訳)には冷戦下で極秘にフルシチョフにあてたケネディーの次の言葉が紹介されている。

「別々の思想を持つ国家がこの地球上で仲良く共存できることを私とあなたで証明してみせようでありませんか」

リチャード•アッテンボロー監督の「ガンジー」の中にも印象的なシーンがある。

ムスリム(イスラム教徒)に我が子の命を奪われ、報復でムスリムの子供の頭を壁に打ち付けて殺害してしまったことを後悔するヒンドゥー教徒の父親をガンジーは次のように諭すのだ。

「地獄から抜け出る方法がある。ムスリムの孤児をムスリムとして育てるのだ」と。


彼らがトライしたのは、自分が拠って立つ思想、宗教、哲学だけにすがるのではなく、相手が拠って立つものをも熟知、理解し、和解に導こうというもので、その姿勢がなければおそらくあらゆる対立は乗り越えられないと悟っていたのだろう。

3.11後日本は大きく変わってしまったと言われるが一番変わってしまった所を一つあげろと言われたら僕は「それぞれの立場がより鮮明になってしまったこと」だと答える。

経済格差、教育格差、世代間の意識の格差、情報格差、思想的な立場の違いなどなど当初モザイク状にあらわにされ、近頃では白か黒かの単純な二元論に収束していくようでなんとも不気味な感じがする。

先日ネット上で延々と平行線が続く議論のやりとりを目にしたが、双方世界平和であったり日本の平和だったりを主張しながら最後にはお互いを「ブサヨ」「ネトウヨ」と罵り合うという、そここそがまさに戦場であった。

「語り得ないもの」達が対立を乗り越えるための術を知る者を「暗殺」する程に恐怖するのだとしたら、この現状は彼らを動揺させる程のものではなく、むしろ彼らの偏狭に加担するものだ。

「アサーティブ  Assertive:自他ともに大事にする表現をする」という姿勢こそが「語り得ないもの」達と対峙する時に必要不可欠なものだろう。

だから自分と異なる立場にいる者を口汚く罵るのはやめよう。

2つの同じ力を180°ベクトルの違う方向に引っ張れば力の大きさは0だ。

でも、少しでもお互いの方向にそれぞれのベクトルが歩み寄れば小さくても合力(ごうりょく)として新たな力が生まれる。

そのベクトルが指し示す方向にコマを進めるべきだと思う。そこにこそ未来があるのではないか?

(おおげさな文章ですが、実は妻と大げんか。僕が一方的に罵っただけですが…。自戒を込めてこの文章を記しました)

「握りこぶしと握手はできない」 by マハトマ•ガンジー

動画はネルソン•マンデラのリーダーシップを描いた「インビクタス」より

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